1998年春、7人の1年生が男子アイスホッケー部の門をたたいて、当時3年になった佐藤章一ら初期メンバーを含めた部員数は2桁の大台に乗った。同好会から部への昇格とともに、23年ぶりの苫小牧アイスホッケー連盟登録をして苫小牧西高男子部が再び歩みだした。
復活を願っていた部の男子OBをはじめとした西高卒業生も、こぞって祝福してくれた。「新しい歴史をつくって」とユニホームやジャージー、ひときわ目立つ大きな部旗まで用意していただいた。本当にありがたかった。
初陣は9月のNHK杯。1回戦で強豪駒大苫小牧と当たり0―25と洗礼を受けたが、選手たちは最後まで諦めない姿勢を見せた。続く南北海道リーグで勝利は挙げられなかったものの、釧路市で開かれる北海道大会の出場権を獲得。清水と2―3の好ゲームを演じた。
その後は年に2、3人の入部で、5人で1セットを組むのがやっとな状況や新人大会に参加できないシーズンもあった。それでも、日々の練習は「苫小牧東や駒沢と同じことをやるぞ」と、選手層の薄さは言い訳にさせなかった。他校に負けないくらい氷上に上がったし、釧路に毎年遠征もした。2泊3日の期間中はどんなに人数が少なくても練習試合にダブルヘッダーを組んで鍛えた。
部の名物行事になったのは、夏休みを利用した支笏湖ランニングだ。高丘のハイランドスポーツセンターと千歳市支笏湖畔モラップキャンプ場の間をマラソンで走る。私が小学生のころ、苫東が夏休みに支笏湖畔で1週間ほどキャンプをしながら陸上トレーニングの合宿を行っていたことに着想を得た。
同好会だった1年目は生徒が往路をランニング、湖畔で昼食を取った後の復路はインラインスケートで自転車道を滑走して帰ってきた。1泊としたのは2年目から。父母はもちろん、ここでもたくさんのOBの支えがあった。キャンプ場まで足を運び、選手たちにバーベキューを振る舞ってくれた。単なる体力強化ではなく、年代の垣根を越えた交流の場にもと思った。部員たちにとって貴重な経験だった。
卒業後に強豪大学や実業団に進む選手がそろっていた苫小牧南高の指導時とは違い、苫西の部は小学校から継続してアイスホッケーに打ち込んできた生徒はごくわずか。スケートも満足に滑れない初心者もいた。スポーツの醍醐味(だいごみ)、勝つという喜びを味わわせてあげることはなかなか難しかったが、生徒一人ひとりの成長を感じさせてもらった。指導しがいのある13年間だった。
(構成・北畠授)