北海道アイヌ協会理事長 加藤忠さん(81) 「ようやく」感慨と期待 多様性認め合う大切さ発信を

  • アイヌ民族 ウポポイを思う, 特集
  • 2020年5月23日

  白老町の自宅からほど近い民族共生象徴空間(ウポポイ)前を愛車の自転車で通るたび、真新しい建物を眺めては完成の喜びに浸る。北海道アイヌ協会理事長として身を粉にし国へ訴え続けた「差別のない共生社会の実現」。国がアイヌを法的に先住民族と位置付け、政策推進の”扇の要”としたアイヌ文化復興拠点への思い入れは強い。新型コロナウイルスの影響でオープンは遅れているが、「ようやくここまで来た」と感慨にふける。

   白老で生まれ、会社員や自営業を経て町嘱託のウタリ生活相談員を18年間務めた。その中で目にしたアイヌ家庭の生活困窮と、社会の空気に根強く残る差別、偏見への苦悩。子どもは進学を諦め、それがまた貧困を生む悪循環。出自に誇りを持てず、やり場のない苦しみを抱く同胞を支える活動はやがて日本のアイヌ政策を動かすこととなった。

   2004年5月、北海道ウタリ協会の理事長に就き、組織の改名を目指した。協会は終戦翌年の発足当時から使用した「アイヌ(人間)」の組織名を1961年、「ウタリ(仲間)」へ変更。偏見を恐れる会員に配慮したのが理由だ。しかし、「アイヌという言葉が差別の意味合いを持つことこそおかしい」と、意を決して2009年に元の組織名へ戻した。抵抗感を抱く会員の心情を理解しつつも、「これからの多文化共生時代では、民族名を堂々と国内外に発信することが大事だ」。そう信じたからだった。

   07年の国連総会で、日本も賛成票を投じた「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択された。権利回復への国際的潮流を受け、アイヌを先住民族と認めるよう国への働き掛けに心血を注いだ。江戸期の場所請負制度下で一部和人に虐げられたアイヌの惨状をつづった探検家松浦武四郎の日誌をコピーし、「足が棒になるまで各党の国会議員に配り歩いた」。明治以降の政策で土地など生活基盤を失い、伝統文化や言葉の継承も諦めざるを得なかった悲しい歴史についても各所で必死に伝え続けた。「物事を変えるには民族の歩みを知ってもらうのが大事」と思ったためだ。

   08年に政府の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」委員、09年には官房長官を座長とするアイヌ政策推進会議メンバーとなり、先住民族の尊厳を尊重し多様な文化を持つ社会形成―を理念とした民族共生象徴空間の開設決定に深く関わった。アイヌを先住民族とした19年4月のアイヌ施策推進法成立の瞬間も国会傍聴席で見届け、民族にとって大きな一歩と、感涙にむせんだ。新法制定と象徴空間の整備。長きにわたる地道な活動が結実した。

   文化の伝承と振興、慰霊の施設を備え、開業を待つウポポイ。その前に立ち、こう言った。「民族や文化に優劣などない。多様性を認め合う重要性をこの施設から発信してほしい」と。

 (おわり)

   ※金子勝俊、平沖崇徳、下川原毅が担当しました。

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