千歳市で幼い頃からアイヌ文化に触れ、儀式や舞踊を学んできた。民族共生象徴空間(ウポポイ)の開業を「アイヌへの注目度が高まる中、大きなコミュニティーができるのはいいこと。僕たち若手が伝承者として育ちやすい環境になる」と歓迎する。
父方の祖母がアイヌ民族。6歳の頃から、祖母のいとこで千歳地域のアイヌの文化や言語を後世に残すための活動に尽力した伝承者、故中本ムツ子さんのアイヌ語教室に通い、伝統舞踊も習った。一緒に取り組んでいた同世代が活動から離れる中、年長者からの期待を一身に集めた。自身の双肩にかかる重圧に活動から離れようと考えたこともあった。
高校3年の時、中本さんと祖母を相次いで亡くした。「若手が少なく、担い手がどんどんいなくなっていく。文化が途絶えてしまう。ここで投げ出しては祖母や中本さんが悲しむ」。2人の死に、継承活動に取り組む決意を固めた。アイヌ文化を勉強するため大学に進学したが「座学で学ぶものではない」と感じ、3年生の春に中退。千歳の伝承者、故野本久栄さんらから、儀式や生活の知恵をじかに学んだ。
一口に「アイヌ文化」と言っても、時代によって内容は違う。例えばオハウ(汁料理)。作る時の味付けはみそなのか塩なのか。塩が貴重品だった頃はどうだったのか。先祖に思いをはせてみる。本来のやり方を理解した上で、新たな手法も取り入れたはず。変えるものは変える。その線引きはみんなで話し合って決めればいい。「もちろん変えてはいけないものもある。アイヌ文化は精神文化。自然を思う心は変えてはならない」。若手らしい柔軟な発想でアイヌ文化と向き合う。
後進の中高生に伝統漁具のマレクの使用技術や儀式の作法を教える立場になった。一方で、自身の儀式や文化への理解をより深めたいとも思う。中本さんら伝統を知るエカシ(古老)やフチ(おばあさん)は物故者が多くなり、高齢化も進む。「この1年で儀式を学び直したい。トクサをやすりに使うなど、植物を食用以外にも使っていた。元気なうちに山で教えてもらいたい」と意欲を見せる。
最近は木彫も始めた。文様を自ら考え、彫刻刀を操り、表現することは難しく、奥深さを知る日々だ。
ウポポイについては「ただの博物館では絶対駄目」と強調する。若手伝承者が学び、連携する場であるべきだと思っている。「地域ごとに違う生活文化や作法などを研究し、展示で表現することも重要」。研究機関であるウポポイで若手が積極的に学び、それぞれの故郷での伝承活動を活発化させてくれればと願っている。