さまざまな種類の彫刻刀を駆使し、木に新たな命を吹き込む。細かなうろこ模様を彫り込む時は息を潜め、のみの先端に気力を集中させる名工。開業を控えた民族共生象徴空間・ウポポイに「アイヌ文化の拠点施設として、若い工芸作家たちを育ててほしい」と技術継承の場となることを強く願う。
渦巻きやとげの形を多く描くアイヌ文様。平取町の沙流川流域のコタンではこれに加え、うろこの模様を多用するのが特徴だ。使う人の魔よけになるよう思いを込め、一彫り一彫りに意識を傾ける。作品はイタ(盆)やたばこ入れ、マキリ(小刀)などのほか、動物をモチーフにした立体彫りなど多彩だ。通常のアイヌ文様は4種類ののみで細密で流麗な意匠を刻むが立体彫りは20種類ののみで、野生の息吹を感じさせる動物の木像を生み出す。
父の故守幸さんも、多くの弟子を抱える名工。幼い頃から見よう見まねで木に模様を彫った。父の手ほどきを受けたことはない。中学1年生の1977年、守幸さんは42歳で病没したからだ。
富川高校を卒業後、苫小牧職業訓練校電気機器科を経て、2年半、札幌市内の電気工事会社に勤務。21歳で故郷に戻った。「家業だし、木彫りをすることは自然なことだった」。父の弟子や先輩の作品を見ることで木彫の技術を吸収。腕を上げていった。「仕事に向き合う中で、地元の観光やアイヌ文化の振興をより良くしたいとの意識が高くなった」と述懐する。
北海道アイヌ伝統工芸優秀賞を3回受賞。2010年には国土緑化推進機構から「森の名手・名人」に道内でただ1人選ばれるなど、技能が高く評価されている。それでも「自分が到達点に達したとは思わない。もっといい物を作りたい。次代の人たちの参考になる物を作り、工芸の技術が伝わるようにしたい。アイヌ工芸の良さを分かる人が増えるためにも」。いっそうの高みを目指す姿勢に終着点はない。
現代の工芸作家の作品としてウポポイに収蔵するため、たばこ入れとマキリの制作を担った。アイヌ工芸への関心が高まる中、作家の高齢化に伴う後継者の育成が課題となっている。「地域全体でいい人材を育て、生活できるようにする仕組みが必要」と強調。ウポポイには「若手の作品を買い取るなど、育てる取り組みをしてほしい」と求める。訪れた人が道内のアイヌゆかりの地に行ってみたいと思える仕組みが構築され、各地域の文化の魅力が周知されていくことを望んでいる。