アイスホッケーの防具とスケート靴を装着し、起伏やカーブ、ジャンプ台などの障害物が待ち受けるスロープを駆け抜けて着順を争う新競技、アイスクロスの世界大会で活躍を続ける苫小牧在住の山本純子(37)が日本の第一人者として世界の舞台で奮闘中だ。近況や今後の目標を尋ねた。
(聞き手・工藤航)
―2月に横浜市で開かれた世界大会で11位になった昨季を振り返ると。
昨季出場した米国、ロシア、日本開催の3大会を通じて技術的なところでは大きく崩れることはなかったが、スタートダッシュで後手に回ってしまうところがあった。自分の中では力を出せているつもりでもトップ層の選手になかなか勝てず、成績としても伸び悩んでしまった。一つ一つ課題を見詰め直し、オフシーズンを過ごしていきたい。
―来季は現時点で、新型コロナウイルスの影響で大会開催など見通しが立たない状態だが、どんな準備をしているか。
昨季は3月上旬を最後に大会も行われなくなったので、次のシーズンに向けて筋力トレーニングを続けている。氷を力強く蹴るためにも脚力も鍛えなければいけないと感じるので重点的に鍛えていければ。新型コロナ流行前なら、大会シーズン前はリンクで実践的な練習を行っていたが、今回はしっかり体の土台をつくりたい。
―次のシーズンの課題や目標は。
課題は、自分の中で「ミスをしてはいけない」という気持ちが働いてしまい思い切りの良さが欠けてしまったところ。気持ちの面で負けずに挑みたい。選手として活躍するのはもちろんのこと、次に世界大会が開催されるのか分からない状況ではあるけれど、もっと日本に競技を広めたいと考えている。今年2月に長野で初心者が出場できるカテゴリーが設けられた大会に、世界中から有力選手が多く参加してくれた。競技そのものはまだまだ日本には根付いていない感じもあるので、体験できる機会を多くつくり、発展に尽くしたい。
―アイスクロスの魅力について。
氷の坂を下る爽快感と起伏のあるコースをうまく滑られたときの達成感だと思う。タイムを競う競技なので、やっている選手も見ている人もどうなるか分からない楽しさもある。50歳代後半でも活躍している選手がいる。自分もまだまだ貪欲に上位を目指したい。
―今後に向けての抱負を。
まだ世界大会優勝がないので、もし次に出場チャンスがあれば1番を目指したい。27歳からアイスクロスを始めて自分としてもここまでできると思っていなかったし、大きな魅力を感じている。そういう競技を日本でもっと広めたい。=随時掲載=
山本純子(やまもと・じゅんこ) 1982年生まれ。長野県軽井沢町出身。7歳からアイスホッケーを始め、苫小牧の女子アイスホッケーチーム大東開発ネクサス(現在は解散)にも所属していた。27歳当時、札幌で開催されたアイスクロス国内選考会に参加。数々の世界大会で好成績を残し、世界ランキング最高は2018~19シーズンの8位。19~20シーズンは13位。苫小牧ケーブルテレビに勤務。