2018年に創立60周年を迎えた苫小牧漁業協同組合女性部。05年から約15年間、先頭に立ち、前浜産の海産物のPRや浜の活性化に向けて活動を続けている。持ち前のパワフルな明るさでメンバーから愛され、信頼も厚い。
1950年、苫小牧市浜町で3人姉妹の次女として生まれた。実家は4代続く漁師の本家で、父輝男さん(故人)はカレイやスケトウダラなどを取る刺し網漁師。厳しくもあったが手先が器用で、セーターを手編みしてくれたり手料理を作ってくれたりした。
母の百合子さん(同)は体が弱く、6歳下の妹を産んだ後に肺結核で入院。加津子さんが中学を卒業し退院するまで、育ち盛りの3姉妹の子育ては父が中心だった。
小学校低学年、中学年と成長するにつれて、一つ年上の姉と共に家業を手伝うように。父の漁船に乗って刺し網を一緒にまき、漁で取れた魚をリヤカーに積んで、市内の家を1軒1軒回って売った。
中学校卒業後はアルバイトや家の手伝いをして過ごし、20歳の時に5歳年上の孝吉(こうきち)さんと結婚。75年に輝男さんが引退するのを機に漁師の後を継いだ。孝吉さんは現在も現役のホッキ漁師として活躍している。
結婚後、3人の子育てをしながら、90年ごろ女性部に加入。後に副部長となり約8年間過ごしたが、「女性部を引っ張っていきたい」という強い思いから2005年に部長へ就任。以降、苫小牧産の海産物を活用した料理教室や道内外の食に関するイベント出場などを積極的に企画し、活動の場を広げてきた。
市の貝であるホッキを全国にPRすべく、東京都内のデパートでのホッキフェアや、全国で開かれている「みなとオアシスSea級グルメ全国大会」には何度も出店。当初は道外でのホッキ貝の知名度はまだまだ低く、高級食材のアワビやハマグリと並べてもほとんど売れず、悔しい思いもした。
しかし、力強い呼び込みでアピールを続けた結果、興味を持つ客が年々増え、ホッキの認知度も高まった。「道外の人に新たなおいしさを伝えられた。ホッキを知る人がどんどん増えていくのがうれしかった」と振り返る。
現在もカレイやゲンゲなど、前浜産の海産物を用いた新たなメニューや、昔ながらの食べ方を浸透させるべく奮闘中。また「困っている人にすぐできることを」の精神で、メンバー23人で力を合わせて、あらゆる取り組みにチャレンジする。新型コロナウイルスの感染が拡大した3月には、全員で材料を集めてマスクを手作りし、市へ270枚寄付した。
近年、新たな加入者が徐々に少なくなっているのが悩み。「若い人に入ってもらうためにも、女性部の活動をアピールしていきたい」と意欲を見せる。「若い考えを取り入れて、これからも楽しいことをどんどんやっていく。浜の活性化で町全体の活性化につなげたい」と力強く語った。
(小玉凜)
山口 加津子(やまぐち・かづこ) 1950(昭和25)年8月、苫小牧市浜町出身。胆振地区漁業協同組合女性部連絡協議会会長、北海道漁業協同組合女性部連絡協議会副会長も務める。同市汐見町在住。