萱野茂二風谷アイヌ資料館館長 萱野志朗さん(62) 文化継承につなげて 研究機関の役割に期待

  • アイヌ民族 ウポポイを思う, 特集
  • 2020年5月13日

  「観光の側面は否定しないが、それだけで突っ走ってはいけない。アイヌ文化の伝承、言語の継承につながるよう、民族共生象徴空間・ウポポイに研究機関としての役割を果たしてほしい」

   言葉の節々にこもる力。文化と言語の伝承に取り組み、先住民族としての権利回復のために活動してきた。揺るぎない信念は、父親譲りだ。

   アイヌ初の国会議員で、伝承者の故茂氏の次男。茂氏は1960年代、観光会社に勤めアイヌの舞踊を観光客に披露し、報酬を民具の買い取りに充てた。古い民族衣装、矢筒、敷物、トゥキ(漆塗りのわん)など。「萱野はがらくたを集めている」と後ろ指をさされても意に介さなかった。高額の録音機材を購入し、古老が語るユカラ(神謡)などを採録した。

   「将来に向けて残しておくべきだと考えていたのだろう。当時は道楽のように感じていたが、後になってすごいことだと分かった」と語る。民具は、72年6月に開館した二風谷アイヌ資料館で展示。録音内容を日本語訳と共にまとめ、73年に「ウェペケレ集大成」として出版し、菊池寛賞を受賞した。

   父の背中を見て育ったが当初、活動への関心はそれほど高くはなかった。平取町で小中学校時代を過ごし、富川高校を卒業。亜細亜大で法律を学んだ後は、東京で大手広告会社の営業や工場での生産管理の仕事に就いた。「父から伝承活動に関わるよう言われたことはない。父は『人に担がされた荷物は重い』と話していた」と振り返る。

   転機は87年、平取町が主催した研修旅行でカナダを訪問した時。現地で先住民族の言語を話せる人は80歳以上の人が中心だった。日常生活は英語を使用していたが、小学生が先住民の言語を復興しようと取り組む姿に衝撃を受けた。「アイヌも同じ。アイヌ語を復興しなくては」。伝承という荷物を自ら担ぐ決意を固め、88年に二風谷に帰郷。父の下で言語と文化を学んだ。

   2006年から萱野茂二風谷アイヌ資料館の館長。アイヌ語の新聞「アイヌタイムス」の編集に携わり、アイヌ語教室の事務局長も務める。アイヌ民族の権利をめぐって積極的に発言しており、19年3月に苫小牧市内で開かれたアイヌ施策推進法案に関する公聴会では「先住権が明記されていない」と訴えた。土地利用やサケの捕獲などの権利を語る口調は熱い。

   研究機関としてのウポポイには「アイヌ語を各地域の方言別に解説すると聞いており、アイヌ文化を正確に伝えられるよう頑張ってほしい」と期待する。心配なのは予算。「財源を確保できるよう、国とも十分調整してほしい」と提言する。

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