今年3月に閉園し、48年の歴史に幕を下ろした樽前保育園。2代目園長の鴻野憲征さん(81)は、その閉園をひときわ特別な思いで見届けた。「忙しかったけれど、やりがいがあって楽しかった」と朗らかな笑顔を見せる。
鴻野さんは、7人兄弟の4番目として伊達町(現伊達市)で生を受け、室蘭栄高校に進学した。卒業後は、陸上自衛隊に入隊し、2年で満期退職。隊の仲間たちに、父、行信さんが静内町(現新ひだか町)で立ち上げた建設会社「鴻野組」を手伝うことを話すと、6、7人が一緒についてきた。
もともとは大学進学を希望していた。経済面からかなわなかったが「いざ仕事を始めたら仕事の方が面白くなってくる。(作業員は)同じ年代ばかりで何をやっていても楽しかった」と振り返る。
そんな中、妻、ふみ子さん(81)と出会って1964年1月に結婚した。だが、幸せもつかの間。同年末に父の会社が倒産してしまう。父が苫小牧市糸井に家を借り、苫小牧へ移り住んだ。
樽前で71年に自社「鴻野建設」を設立。74年12月、10人程度が暮らしていた鉄骨プレハブの2階建て従業員宿舎が全焼する被害に見舞われる。出火原因は不明のままだが、幸いにも負傷者は出なかった。
その後、日本赤十字社から全員分の作業着や寝具といった見舞いが届いた。「とても世話になった」といい、恩返しの気持ちを込めて赤十字の会員になり、毎年赤い羽根共同募金の時期には寄付を続けている。
樽前町内会からは、町内会館を寝床に使って構わないと申し出を受けたが、申し訳なさから辞退。自宅の居間を開放し、すし詰め状態で寝た。「町内の人にも心配を掛けてしまった」とわびる。
地域では、70年ごろから、小さい子どもを持つ家庭が保育所の設置を希望していた。鴻野さんも、工事現場に向かう途中や、少し早めに現場を終えて市役所に行って補助金の申請などに尽力。こうして72年7月に地域念願の季節保育所として樽前保育園がスタートした。
鴻野さんは81年から20年間、園長を務め、園児から「日曜日がなければ毎日、保育園に来られるのに」と残念がる声が上がるほど愛される園だった。会社を営みながらの業務は多忙を極めたが「やっぱり子どもが好き。ただ(本業の)仕事をするだけでなく、保育園や町内会に携わることは、心の栄養剤にもなっていた」と振り返る。83年には通年保育所になった。
園は、地域に子どもがいなくなり、入園児の見込みがないことなどから閉園となったが「保育園がなくなっても、そこで過ごした楽しい記憶は残る」と目を細める。
2001年から務めてきた樽前町内会長も19年に引退。「何にでも協力的で頑張ってくれる町内会だった。樽前で暮らして本当に良かった」と今後も、地域を愛する心は変わらない。
(高野玲央奈)
鴻野 憲征(こうの・のりゆき) 1938年11月、伊達町(現伊達市)生まれ。室蘭栄高卒業。さまざまな建設会社の勤務を経て、71年に苫小牧市樽前で鴻野建設を設立。樽前町内会の会長や樽前保育園の園長も歴任した。苫小牧市樽前在住。