「私の兄が小学生の頃、スキーをしている時、他の児童のストックが目に刺さって失明したんです」―。苫小牧スキーパトロール赤十字奉仕団委員長を務める山本茂夫さん(66)はスキーパトロールを目指したきっかけについて、4歳離れた兄の事故の思い出を明かす。
「早く手当てしていたら、早く病院で処置できていたら、失明せずに済んだのでは」。そんな「もしも…」を考え続けるうち、得意だったスキーの技術を生かし、今のボランティアに携わっていた。
出身は士別市。実家は水田農家で、山本さんは3人きょうだいの次男。スキーは小学生の頃からの趣味で「冬の遊びと言えばスキーだった」と振り返る。
名寄高校機械科を卒業後、就職を機に19歳で苫小牧生活が始まった。仕事の休暇はスキー場通いで、22歳の時には全日本スキー連盟(SAJ)の「スキーバッジテスト」と呼ばれる技能検定で1級に合格。苫小牧のスキー連盟関係者から指導員に誘われるほどの技術を身に付け、「人助けとスキーを続けたいとの気持ちから、スキーパトロールへの関心が強くなった」という。
その年の夏には救急法に基づく救急員の資格を取り、1976年に苫小牧スキーパトロール赤十字奉仕団に所属。「当時はスキーブームだった」といい、千歳市にまたがる支笏湖湖畔のモーラップスキー場で、千歳の奉仕団と合同でパトロール活動に奔走した。
その後、90年代に入るとモーラップスキー場は利用客減や設備の老朽化などで閉鎖。同奉仕団は白老町の森野スキー場での活動を経て、2000年から旧追分町(現安平町)の依頼で、町営安平山スキー場での活動を引き受けた。従業員の安全講習の講師も担う。
シーズン中は毎週末と祝日に活動。基本2人1組で巡回し、負傷者がいれば駆け寄る。応急処置をし、動けない場合はそりに乗せて運び、救急車の到着を待つ。「いろんな危険に目を配り、チームワークが肝心」と山本さん。
07年から苫小牧スキーパトロール赤十字奉仕団の委員長も任され、「スキーが好きで信頼できる仲間に出会えたのが、続けられた一つの理由かな」と笑顔を見せる。
同奉仕団は現在、苫小牧や近郊の40~60代の18人で構成する。かつては地元企業スキー部の団員もいて、スキーパトロールの競技大会で好成績を収め、「うちが行うスキーパトロールの養成講習を道外から受けに来る人もいた」という。しかし、1966年の結成から半世紀以上がたち、団員の高齢化と減少が進む。「関心を持ってもらう工夫を考えたい」と課題も口にする。
山本さん自身は約10年前に人工股関節を入れる手術をしたため、スキーが難しい体になったが、今シーズンも安平山スキー場には2回ほど足を運んだ。「室内で待機し、応急手当てをする役割」。人助けへの情熱は消えそうにない。
(河村俊之)
山本 茂夫(やまもと・しげお) 1953年6月、士別市生まれ。苫小牧市ボランティア連絡協議会の副会長を務め、同会の広報紙「そよかぜ」発行にも長年携わっている。苫小牧市明野新町在住。