苫小牧市が誇る屋内スポーツの殿堂では全道、全国級の大会やリーグ戦はもちろん、世界各国代表チームが集う国際大会に至るまで、数々の熱戦が繰り広げられた。
「総合体育館と共に苫小牧のバレーボールは育ったんじゃないかな」。そう語ったのは苫小牧バレーボール協会の吉田直志副会長(65)だ。1977年男子、81年、85年の女子ワールドカップ(W杯)開催を筆頭に、当時国内最高峰の舞台だったVリーグ男子、各年代の全国大会道予選などメインアリーナをひときわ彩った。
吉田副会長らと共に、20代から苫小牧協会の一員として各種イベント開催に尽力した五十嵐卓二会長(67)は「毎回大勢の観客で体育館が埋まってね。その光景にいつも感動していた」とほほ笑む。
バレーボール人気の高まりに伴って地域の人口も増加した。「あの時代に総体がなかったら、今の苫小牧のバレーは大きく変わっていた」―。両者の共通認識だ。
繰り出される剣がぶつかり合う金属音が館内に響き渡ったのは、フェンシング競技。35年ぶりに本道開催された89年9月の国民体育大会秋季大会はまなす国体を振り返り、「総合体育館は国体会場にふさわしい施設だったね」と当時、苫小牧市実行委員会の事務局長を務めた小野三蔵さん(89)は目を細める。
苫小牧光洋中で教壇に立ちつつ、道代表成年男子リーダーとして大会に挑んだ辻本誠一さん(57)=現小樽北陵中教諭=は、生徒ら250人が試合会場へ応援に来た様子を鮮明に覚えている。計5回の国体出場を果たしたが、「はまなす国体が一番の思い出。教え子たちの応援がなによりうれしかった」と懐かしむ。
卓球では、2003年に全国中学校体育大会が行われた。当時は青森山田中3年だった福原愛さん(31)をはじめ、2020東京五輪代表で同2年だった水谷隼(30)=現木下グループ=らも出場の顔触れに名を連ねた大舞台。沼ノ端中2年時に大会出場を果たした会社員の佐藤亜維さん(30)は、憧れの福原さんと話す機会を得た。「『サーブが一番大切。サーブは誰にも邪魔されない』とアドバイスをもらった」と言う。
苫小牧東中1年だった会社員の本田翔悟さん(29)も地元開催の大舞台を経験した一人。連日、大勢の卓球ファンらが詰め掛け、「とにかく熱気がすごかった」。総体は今でも楽しい思い出が詰まった場所だ。