苫小牧市が開基100年記念事業の一環として建設した総合体育館は1973(昭和48)年に完成した。市内には王子製紙スケートセンターやハイランドスポーツセンターなどもすでにあったが、公共の屋内スポーツ施設は学校の屋内運動場やグラウンドなどに限られていた。
市総合体育館の建設地に関しては、末広町の市営球場跡地と清水町の旧緑ケ丘リンクの2案があったとされ、当時の市議会で適地をめぐった議論が交わされたという。結果として市営球場の跡地が選ばれた。
完成の前後、市建築部で総合体育館の設計などを担当し、建設現場の管理に携わった猪狩五朗さん(88)は「緑ケ丘リンクがあった場所はもともと沼地で地盤が悪かったのではないか」と推察する。
総工費7億8000万円を掛けて建設された総合体育館。メインアリーナのほか、剣道や卓球などの各種練習室、サーキットトレーニング室などを備えた。戦前から盛んで多くの人が関わって歴史を築いたスケート競技を基盤に、66(同41)年に全国に先駆けて「スポーツ都市宣言」をした苫小牧にふさわしい屋内競技の拠点、一大スポーツ施設として開業した。
デザインは設計会社5社から提示された設計図を基に、コンペに近い形で選ばれた。猪狩さんら建築部の職員らはこうした図面を首っ引きで読み込み、議論。「一番スマートだった」と振り返った現状の建物の姿が選ばれた。
「当時としては最先端の技法も使われているんですよ」と教えてくれたのは、同体育館を施工した鹿島建設、岩倉組土建、菱中興業(すべて当時)の共同企業体に岩倉の一員として携わった菱力弘さん(75)。メインアリーナ天井は、鋼管部材を三角すい状にして組み合わせる立体トラス構造を採用。地上で組み立てた後、リフトアップと呼ばれる工法で持ち上げた。
菱さんは、こうして出来上がる構造物を水平に設置する作業に従事した。鋼管を組合わせた骨組みは全長70メートル以上あって、「端から端まで正確にレベル出しするのが大変だった」。このほか、床に関した工事では各種競技に必要なネットポール設置箇所の位置出しなども行った。完成を見た瞬間は「なんとも言えない満足感があった」と回顧する。
市は新年度から、2025年以降の20年代後半完成を目指し、「新・総合体育館」の構想策定に着手する。OBの猪狩さんは「完成したメインアリーナを見た時は、本当に素晴らしいと思ったし、やりがいがあった。今の建物が取り壊されてしまうのは少し寂しさもあるかな」と話した。
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苫小牧におけるスポーツの中核的な施設として間もなく築50年を迎えようとしている苫小牧市総合体育館。市は移転建て替えの方針を表明し、競技の花を数々はぐくんだ建物は役割を終えようとしている。これまで、華々しい大会も数多く開催し、市民に親しまれてきた。建物に刻まれた歴史を振り返り、あるべき新たな施設像を探る。