がん闘病中元市民ランナー 岡 正知さん(68)樽前山登頂 病に負けず挑戦 仲間の励まし心の支えに

  • ひと百人物語, 特集
  • 2020年3月14日
「病気に負けないで」とつづられた励ましの手紙を自宅に飾る岡正知さん
「病気に負けないで」とつづられた励ましの手紙を自宅に飾る岡正知さん
肺がん手術後の2017年7月、仲間の支えで樽前山に登る
肺がん手術後の2017年7月、仲間の支えで樽前山に登る
2014年7月、140キロマラソンのゴール地点・白老町民温水プール前でガッツポーズを取る
2014年7月、140キロマラソンのゴール地点・白老町民温水プール前でガッツポーズを取る
1989年10月、鹿追町駅伝大会に自衛隊の仲間と出場した岡さん(上列の左端)
1989年10月、鹿追町駅伝大会に自衛隊の仲間と出場した岡さん(上列の左端)

  呼吸がつらい。体が思うように動かない。苦しみながらも一歩一歩、山の斜面を踏みしめる。頂上が見えてきた。あと少し。自分を励まし、ようやく登り切った時、生きている喜びで胸がいっぱいになった。昨年夏の樽前山登山。がんの闘病生活を続けながらの挑戦は3年を数えた。

   マラソンを生きがいにし、健脚を誇りとしていた頃、樽前の山登りなどわけなかった。白老町の自宅と頂上間の往復70キロを走り切ったこともある。自衛隊時代は100キロマラソンなど各地の大会に何度も挑戦。定年後も自らコース設定した100キロ、140キロ走破を成功させるなど、周囲から”鉄人”と呼ばれるほど強靱(きょうじん)な体力と精神力を自慢としていた。

   だが、4年前にがんを発症し、左の肺を摘出した。「歩くこともままならない日々」がしばらく続いた。

   中学卒業後に岩手県から上京し、和菓子店などで働いた後、18歳で陸上自衛隊に入隊した。配属された青森市の駐屯地で毎年行われていた各部隊対抗マラソンに参加するうち、「走る魅力に引き込まれていった」。挑戦心が芽生え、秋田県角館町―鷹巣町間の100キロをコースにした秋田内陸リゾートカップ、岩手県の岩手山登山マラソンなど、30代から40代にかけて盛んに道内外の大会へ出場。長距離市民ランナーとしての自信を深めた。

   1994年、白老町の白老駐屯地に移動。病気になった妻の看病もあって一時マラソンから遠ざかったが、定年を数年後に控えた52歳の時に再開し、札幌市から白老町の自宅までの87キロを完走。その後も毎日の練習を欠かさず、自衛隊生活を終えた後の2011年、白老町から支笏湖経由で伊達市大滝に入り、白老へ戻る100キロコースを設定し、15時間余りでゴールした。

   「もっと自分を試してみたい」。そんな思いに突き動かされて毎年、長距離マラソンに臨んだ。還暦を過ぎた14年夏には白老―登別―室蘭―壮瞥―オロフレ峠―登別―白老の140キロを丸1日かけて走り抜き、周囲を驚かせた。

   不幸は突然やって来た。64歳の16年夏、朝の洗顔中に吐血した。病院での診断結果は肺がん。手術を受け、入退院を繰り返した。少し歩いても息がつらく、「ランナーに戻れないショックで自信を全て失った」。死を覚悟するほど落ち込んだが、仲間の励ましで気を取り直した。樽前山登頂を目標に歩く練習を重ね、翌年の17年夏、成功させた。18年春に再発し、今度は手術できない状況だったが、「病に負けたくない」と同年夏に再び登った。そして昨年も。「頂上に立った時、今も生かされている感謝が胸にこみ上げてくる」と言う。

   毎日の抗がん剤投薬と毎月の検査が欠かせず、闘病生活はなおも続く。時折、悪化の恐怖に襲われるが、自宅の部屋に飾っている”宝物”が心の支えだ。知人、友人から寄せられた激励の手紙。「マラソンのチャレンジ精神を忘れず、闘病に頑張って」「治療は大変ですが、一歩ずつ前へ進んで」。便せんやはがきにつづられた文面に勇気をもらい、今年も樽前山の頂を目指すつもりだ。

   「こんな体になっても前を向く。同じように病に苦しむ人の励みになれば」。そうした思いも自身を奮い立たせている。

  (下川原毅)

  岡 正知(おか・せいち) 1952年2月、岩手県一関市生まれ。実家は江戸時代から続く武士家系の旧家。18歳の時、東京―青森県大間町の片道700キロを自転車で走った経験を持つ。白老町大町在住。

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