認定こども園幼稚舎あいか園長 三上 順子さん(76) 命ある限り子どもと共に 得られる充実感”宝物”

  • ひと百人物語, 特集
  • 2020年3月7日
「生涯、現役を続けられれば幸せ」と話す、三上さん
「生涯、現役を続けられれば幸せ」と話す、三上さん
明野柳町内会のふれあいサロンにも参加。三上さんは右端=2019年
明野柳町内会のふれあいサロンにも参加。三上さんは右端=2019年
幼稚園教諭として働き始めた三上さん(後列右)=1964年ごろ
幼稚園教諭として働き始めた三上さん(後列右)=1964年ごろ
園児の手を引き、とまこまいマラソンで力走する三上さん=1990年
園児の手を引き、とまこまいマラソンで力走する三上さん=1990年

  「あ、園長先生だ!」。目を輝かせ、駆け寄る子どもを優しく抱き止める。懸命に話す子どもの口に耳を寄せ、「うん、うん」と楽しそうに相づちを打つ。幼稚園教諭として歩み出してから半世紀が過ぎた今も、認定こども園の園長として現場に立ち続けている。願いは一つ。「命ある限り、子どもと一緒にいたい」

   樺太の出身。2歳で引き揚げ、北見市で暮らした。物心が付く頃、母親が近所の農家から幼い子どもを預かるようになった。夕方、農作業を終えた若い母親がわが子を迎えに来て涙ぐみながら自分の母に何度も頭を下げる姿から、保育の原点を学んだ気がした。

   さまざまなことを教えてくれた母は高校生の頃、45歳で他界。悲しみに暮れる中、ふと、母の言葉がよみがえった。

   「あなたは人間と向き合う仕事が合っていると思う。できるなら、幼子と向き合う仕事をしてほしい」

   その言葉を胸に、知人の手伝いとして同市内の幼稚園を訪問。子どもたちのはじける笑顔に心が癒やされると同時に幼稚園教諭の仕事に憧れを抱き、幼児教育の道へ。幼稚園教諭の資格を取得した20歳の時、同市の幼稚園で第一歩を踏み出した。

   24歳で結婚し、苫小牧に移住。2年後、長女を授かった。ボランティア活動のため訪れた市内の障害者福祉施設で保育士資格の取得を勧められたことが機となり、32歳の頃、大阪府にある短期大学で聴講生として猛勉強。保育士の資格も取得し、同市内の幼稚園や保育園で働いた。

   夢中で過ごすうちに月日が流れ、当時園長を務めていた幼稚園での定年退職が目前に迫っていた。人生の節目を迎えようとする中で思い至ったのは、「保育と幼児教育を一体化した園がつくれないか」という考えだ。市内でも前例のない施設。すぐには決断できずにいたが、家族の理解と協力に後押しされ2001年11月、0歳から小学生までを受け入れる、認可外保育施設として幼稚舎愛香(あいか)を柳町に開園した。

   幼稚園教諭と保育士両方の経験を生かした独自の園運営を進め、09年に胆振管内では初の地方裁量型認定こども園の認可を受けた。名称を「認定こども園幼稚舎あいか」に変更。保護者の多様なニーズに応えるため、18年には旧園舎の南側に新園舎を建築し、一時保育や病児保育も始めた。現在の園児数は約140人、学童保育の利用者は約20人に上る。

   今日まで、数え切れない人から助けられてきた。「少しでもその恩返しに」と市の指定を受け、新園舎の一部を自然災害時に住民が逃げ込む地域避難所として機能させられるようにした。

   76歳。世間の定年退職の年齢を優に超えたが、子どもたちと過ごすことで得られる充実感は何物にも代えがたい宝物だ。

   「子どもたちや若い保護者の皆さんから元気をもらい、これからも”愛が香る”幼稚舎あいかで働き続けたい」

  (姉歯百合子)

  三上 順子(みかみ・じゅんこ) 1943(昭和18)年6月、樺太大泊生まれ。幼児教育や保育に約50年間携わる一方、苫小牧性教育研究協議会、国際ソロプチミスト苫小牧、更生保護女性会、平等社会を推進するネットワーク苫小牧などにも所属。幅広い視点から、子どもたちの健やかな成長を支える仕組みづくりを学んできた。苫小牧市ウトナイ北在住。

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