「お茶の間歌声喫茶 山椒魚」店主 佐藤 誠さん(72) みんなで歌い笑顔の輪 演奏レパートリー470曲 メンバー7人息合わせ

  • ひと百人物語, 特集
  • 2020年2月22日
「スタッフや賛同者のおかげで、活動を続けることができる」と話す佐藤さん
「スタッフや賛同者のおかげで、活動を続けることができる」と話す佐藤さん
厚真町の中学校の教室で社会科の授業を行う佐藤さん(中央奥)=1977年ごろ
厚真町の中学校の教室で社会科の授業を行う佐藤さん(中央奥)=1977年ごろ
札幌市内の小学校で同級生と一緒に並ぶ佐藤さん(右端)=1958年ごろ
札幌市内の小学校で同級生と一緒に並ぶ佐藤さん(右端)=1958年ごろ
白老町の高齢者施設で恵子さん(右)と歌う佐藤さん=2017年ごろ
白老町の高齢者施設で恵子さん(右)と歌う佐藤さん=2017年ごろ

  苫小牧を拠点にさまざまな施設や会館を訪れ、参加者と歌謡曲などを一緒に歌う「お茶の間歌声喫茶 山椒魚」の店主を務める。妻恵子さん(71)と2人で始めた取り組みが広がりを見せ、「うたごえで、健康・連帯・平和を!」をモットーに、仲間と共に演奏を楽しみながら参加者を笑顔にする。

   札幌市出身。中学時代に遊びでギターを弾き、大学時代にサークル活動で地域の子ども会を訪れ、全員で歌を歌うなど楽しい時間を過ごした。大学卒業後、1970年に社会科の教諭として上川管内幌加内町の小学校を皮切りに、72年から厚真町の軽舞小中学校、厚南中学校、厚真中学校に赴任。89年に安平町の追分中学校、97年から白老町の萩野小学校で勤務。2007年に退職し、37年間の教諭生活を勤め上げた。

   歌声喫茶は、72年に厚真町の教員住宅で若者を中心に結成したサークル「おたまじゃくし」が前身。73年に同町内で農家の青年を対象にした歌声の夕べを開催するなどしたが、会員の結婚や転勤などで自然消滅した。だが、再び懐かしい歌を歌おうと、08年に山椒魚として復活。自宅の茶の間で歌好きな住民が集まり、好きな歌を思う存分に歌った。

   活動を続けるうちに、白老町の喫茶店や苫小牧市内の団体、町内会の会合などに呼ばれ、出前歌声として出向くようになった。参加者のリクエストを基本とし、多い場合は抽選で歌う曲を選ぶ。キーやテンポは状況に合わせ、冗談を交えた軽妙なトークで笑いを誘う。最後に全員が輪になって「今日の日はさようなら」を歌い、つないだ手を高く掲げて終わる。

   「歌声喫茶は福祉的な面が大きい。組織のような強い結びつきではなく、行きたい時に行って隣の人と歌で友達になれる」と手応えを語る。最初はカラオケのように一人で歌いたがる人もいたが、みんなで歌うことで一人暮らしの人が顔を見せたり、認知症の人が歌う光景も見られる。

   レパートリーは470曲ほど。参加者からリクエストを受けると、曲目が書かれた資料をめくり、メンバーが息の合った演奏をする。最初は自身と恵子さんの2人編成だったが、ベースやカホンなどの奏者が増え、現在では7人体制が基本となった。活動に賛同し、応援者や手伝う人も増えた。

   11年の東日本大震災後、避難所で生活する人たちの苦労や芸能人が激励する姿をテレビで見て、「大変な思いをしている。歌声で少しでも励ませないか」との思いが湧いてきた。自身のブログでつながりのあった宮城県石巻市の歌声喫茶関係者に連絡を取り、13年と14年、17年に被災地に赴き、仮設住宅などで歌声喫茶を開いた。被災者に「また来てね」と言われ、自らも励まされた。

   年齢を重ね、体調を崩すこともあるが、無理のない範囲でスケジュールを組む。「苫小牧が歌声のまちになるよう活動したい」と前を向いた。

  (室谷実)

  佐藤 誠(さとう・まこと) 1948(昭和23)年1月、札幌市生まれ。大学卒業後、厚真町や安平町などの小中学校で社会科教諭として37年間勤務。2008(平成20)年4月19日、自宅の茶の間を開放し、山椒魚としての活動を開始。苫小牧市内のコミュニティセンターや市議会議場などで歌声喫茶を開催してきた。苫小牧市澄川町在住。

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