エガオの前身施設サンプラザ 活気つくった「駅前の顔」 客足流れ中心街衰退止められず

  • エガオ訴訟 ここを教えて, 特集
  • 2020年2月14日
大勢の市民が詰め掛けたオープン初日のサンプラザ=1977年11月1日

  Q エガオはどうやってできたの。

   A JR苫小牧駅南口の旧商業施設、苫小牧駅前プラザエガオの前身、サンプラザがオープンしたのは1977(昭和52)年11月。市が商店街を近代化しようと、市街地を再開発していた時代だった。駅前の区画を整理し、駅前広場や都市計画街路などもできる中、公共法人の苫小牧駅前地区市街地再開発組合が、旧三星本店を中心とした一画に商業ビルを建設し、大型店や既存の商店を誘致。当時の苫小牧民報によると、土地所有者23人、借地権利者18人が関わったらしいよ。ビルを管理していたのが株式会社サンプラザ。念願だった地元資本の大型商業施設で、既存商店街と共存共栄を目指したんだ。

   Q 当時は苫小牧駅周辺に大きなスーパーが進出していたんだよね。

   A 長崎屋苫小牧店の73(同48)年10月オープンを皮切りに、サンプラザが続き、イトーヨーカドー苫小牧店が78(同53)年6月に進出した。それまで市内では鶴丸デパートがあった錦町周辺が商業の中心だったけど、大きく変わろうとしていた。ちなみにその頃は駅北口やアンダーパスもなく、駅の南側が「駅前」、北側が「駅裏」の位置付け。サンプラザは「駅前の顔」と呼ばれた。

   Q サンプラザはどんな施設だったの。

   A ビルの名称は「苫小牧サンプラザ」で、地下1階、地上7階の売り場面積約1万7500平方メートル。当時、小売店業界1位と言われたダイエーがキーテナントとして地下の食品売り場をはじめ各階に入り、脇を専門店テナントが固める格好だった。7階には飲食店が入るなど各階で特色を出し、当時は胆振、日高で最大規模の店舗。オープン初日は約6万5000人を集客し、売上高も1億円を超えた。苫小牧市史も「苫小牧の商業に新しい時代が到来したことを物語る」と紹介している。

   Q それなのに今は空きビルなんだね。

   A 苫小牧は人口が順調に増える中で、宅地や商業地などは東へと移っていった歴史がある。駅周辺の集客力のピークは1980年代までと言われている。郊外にスーパーなどが次々と立地し、買い物客は中心街から流れていったんだ。苫小牧商工会議所が毎年行っている歩行者通行量調査でも、減少は顕著だった。2005年4月に現イオンモール苫小牧がオープンすると、商業の中心が移り変わったことを象徴するように、同11月にダイエー苫小牧店は撤退した。

   Q 核テナントがなくなって、その後はどうなったの。

   A 関係者は「駅前の顔」を何とかしようと努力した。06年2月にラルズマートが後継テナントとして入り、同3月にサンプラザビルを「エガオ」と改称した。エガオはもちろん「笑顔」の意味で、公募したり、投票したりして決定。イメージを一新したんだ。

   Q でも、駄目だったんだね。

   A 中心街の衰退を食い止めることは難しく、丸井今井、イトーヨーカドー、長崎屋も相次ぎ閉店した。これらの商業施設は跡地を活用していくことができたけど、エガオは土地、建物の権利関係が複雑で一本化もできず、責任の所在もあいまいなまま。「駅前の顔」はずるずると空きビル化してしまった。

過去30日間の紙面が閲覧可能です。