白老町の社台地区には「ヨコスト」という地名があります。かつては白老のコタンから社台のコタンまでの間に集落はなく、漁場を営む人たちの民家が海岸線にあるだけでした。伝承者の方からも、「白老から社台へ歩いて行くと、途中には原野とカシワの林しかなかった」と聞いたことがあります。ヨコストは、やがて温泉付き分譲地として開発され、現在では住宅街とレストランなどがあります。
45年ほど前、白老町の地名調査を始めた頃に、伝承者の方から社台地区の地名についてもお話を聞いたことがあります。残念ながら、社台の語源について知っている方はおられませんでしたが、ヨコストについては明確に覚えている方がおられました。ヨコストという地名は、ヨコスト地区に残る沼に付けられた名前です。
ヨコストは、「ヨコ=もりをかまえる、ウシ=ある、ト=沼・湖」という意味です。ヨコストは沼ですから、獲物は魚だったと思われます。大きな魚を獲るために、もりを構えることをいつもしていた沼だったので、この名前になったと考えられます。
今、この沼を見ても、大きな魚がいる沼だったとは思えません。しかし、80年近く前の写真を見ると、ヨコストは社台川が流れていた跡で、現在の3倍ほどの長さがある沼だったことが分かります。この状況から、ヨコストという名前が付けられた頃は、イトウのような大きな魚が泳いでいたと考えても、無理はありません。
1年半ほど前に撮影された航空写真では、大きな魚を獲っていたとは想像すらできないくらい小さな沼になりました。人も自然も、時の流れにあらがうことはできません。やがて、ヨコストの語源となった沼も消えることでしょう。
しかし、それに憂いを抱く必要はありません。いつの時代も、その時代での今があり、未来があります。アイヌ語地名の元となった場所は一つ消えかかっていますが、アイヌ文化を守る新しい動きが始まろうとしています。
(苫小牧駒沢大学客員教授・岡田路明)
※次回は1月27日に掲載します。