昨年12月中旬、白老コミセンで開いたイベント「第3回フチ・エカシのお話」の司会進行役を務めた。話者は、地元でアイヌ語教室を主宰する大須賀るえ子さん(79)。50歳でアイヌ語を学び始め、教室を開くまでになった歩みについて、参加した町民40人余りと共に耳を傾けた。
白老でアイヌ民族の文化伝承活動を続ける高齢の人たちに人生を振り返ってもらう催しは、昨年8月に始めた。明治以降の同化主義社会の中で親から伝統の営みを引き継げなかった世代の人々が、どのように生き、なぜアイヌ文化を自身に取り入れようとしたのか。それを聞き取りし、記録したいと昨年春、仲間と「シラウォイクンネ実行委員会」を立ち上げてイベントを企画、実行委員長に就いた。
民族の血を引く身と知らぬまま成長したこと、大人になってから初めて自身のルーツと向き合い、アイヌとして生きようと覚悟を決めたこと―。イベントに招いた人たちが語る人生ドラマに胸を打たれつつ、自らの過去と重ね合わせる自分がいた。
父は北海道出身、母はアフリカ大陸のソマリア人。国際協力機関に勤めていた父の仕事の関係からカンボジアで生まれ、インターナショナルスクールに通った。日本の支援活動により、現地の人々から尊敬を受けていた日本人。それが誇りだった。10歳の時、家族と共に東京へ移り住み、公立小に転入したが、英語以外は話せず、教室では通訳が付き添った。周囲の児童から「外国人」とやゆされる、つらい学校生活。「日本人として受け入れてもらえない。母の母国ソマリアの文化や風習も知らない。もちろんカンボジア人でもない。いったい自分は何者なのか」。そうした苦悩が続いた。
公立の中学、高校を経て大学受験の際、父から「自分の家系はアイヌ民族だ」と打ち明けられた。「アイヌって何?」。その時まで、独自の言語と文化を持つ日本の先住民族の存在すら知らなかった。日本人と認められたくて、必死に日本語と習慣を学んできたというのに、父の突然の告白に驚いた。何日も悩んだ末、進学先に選んだのは、民族教育が行われている札幌大学。自分は何者か―、それを確かめるように懸命に伝統文化を習い、アイヌの血筋を次第に意識するようになった。
民族の歴史に連なる者としての感覚が呼び覚まされ、2017年春に同大を卒業後、知識と技術を深めるため、白老町での伝承者育成事業の研修生になった。3年間でアイヌの言語や儀礼、工芸、芸能など伝統文化全般を身に付ける研修は今年度で最終。同町の旧社台小を会場に最後の学びに励みながら、今後進むべき道を模索する。
世界的な先住民族復権の潮流を受け、日本も民族共生を目指した政策転換を進めている。同化主義と近代化の波にのみ込まれ、アイヌ民族への帰属意識を押し殺さざるを得なかった時代は過去となり、伝統の営みを自由に表現できる新たな社会を迎えた。その入り口を切り開いた文化伝承者への聞き取り、記録の活動を可能な限り続けていこうと思っている。
これからの社会に夢を抱いている。「アイヌとして生きられ、アイヌ語も日常的に使える、本当の意味での多文化共生の世の中が築かれること」。異なる二つの民族をルーツに持つ身だからこそ、その願いはことさら強い。
(白老支局・下川原毅)
(おわり)