後悔

  • ニュース, 夕刊時評
  • 2019年12月7日

  「俺、子どもをたたいてしまった」。子育ての時期、酒の席で同世代の知人に打ち明けられたことがある。詳細はもう忘れたが、後悔は十分伝わった。

   家庭でも学校でも体罰が珍しくない時代に育った。男親の多くは味方や部下にも残虐で理不尽な暴力を振るう「軍隊」の経験や記憶を引きずっていたと思う。せっかんだ、しつけだと、幼い子どもを相手に皮ベルトを振り回す父親の話を、友人らから何度も聞いたことがある。そんな時代だった。

   しかし、終戦から70年以上がたっても、しつけを理由にした子どもへの暴力がなくならない。命を奪うようなむごい虐待が続き、表情をゆがめながら新聞を読むことが多い。なぜなのか。厚生労働省が3日、来年4月の改正児童虐待防止法の施行に向けて、体罰の定義と指針の素案をまとめた。体罰とは「身体に苦痛や不快感を引き起こす行為」。言うことを聞かないので頬をたたく、いたずらをしたので長時間正座させる、宿題をしなかったので夕食を与えない―など五つの行為を「しつけとは違う体罰」として例示した。これを虐待根絶の第一歩にできるか。

   2人の子どもを育てた。2人とも40歳前後になるが、一度も殴ったことがない。なぜ殴らなかったのだろう。きっと、最大の理由は体罰を受けた経験だ。痛みは忘れても、あの瞬間の恐怖と不快は何年たっても忘れない。子どもには経験をさせたくなかった。(水)

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