(6) コタンコイカ 東は神の住む世界 コタンに祈りの場

  • アイヌ語地名を歩く 白老, 特集
  • 2019年12月2日
白老町大町付近。かつてコタンコイカと呼ばれ、祈りの場もあった
白老町大町付近。かつてコタンコイカと呼ばれ、祈りの場もあった

 人類にとって、太陽はなくてはならない存在です。そのため、人類の多くは太陽を神、もしくはそれに近いものとして、信仰の対象としてきました。そのことは、世界中の民話からもうかがい知ることができます。

 アイヌ文化でも、太陽は偉い神様としてあがめられました。人びとを暖め、生活に必要なものの多くを作り出してくれる太陽は、神々の中でも上位に位置する存在でした。そして、毎日太陽の神様が現れる東は、アイヌ文化では特別な方角でした。地域によって異なりますが、胆振や日高地方では、神の住む世界は東にあると考えられていました。白老でも、コタンの東側にあたるコタンパ(集落の上手)にチパ(祈りの場)を作り、コタン全体に係る出来事の祈りは、チパで執り行われました。

 白老の伝承者の方々は、このチパのある辺りを含め、コタンの東側全域をコタンコイカ(集落の東側)と呼んでいます。名前だけ見ると、日本語と同じように「集落の東側」と言っているに過ぎないように見えますが、白老のアイヌ文化では、少し意味が違います。

 コタンコイカは、白老の人びとにとって、とても大切な場所でした。一つには、神々の世界がある方角として、神聖な場所だったということもありますが、それ以上に、コタンコイカには生活に必要な多くのものが存在していました。海岸砂丘を覆うように生えるハマナスからは、料理に使う実を採取しました。ヒルガオやガガイモ、ツリガネニンジンなど、根を食料として利用する植物もたくさんありました。

 家を建てるときの材料となるススキやアシは、コタンコイカの主たる植物でした。また、日の出町辺りに広がっていたヨコスト湿原には、ござを作る材料のガマやフトイが茂っていました。

 時代が変わり、コタンコイカの存在意義も薄れました。ただし、白老町でアイヌ文化の奥深さを検証しようとするなら、コタンコイカの存在意義をもう一度見直す必要があります。

 (苫小牧駒沢大学客員教授・岡田路明)

 ※次回は来年1月13日に掲載します。

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