白老町の礎を築いたシラオイコタンの人びとは、幕末期には白老地区だけでも400人近くが住む大きなコタン(集落)を形成していました。今でこそ400人しか人が住んでいない町は、小さな町ですが、当時の北海道に点在したコタンとしては比較的大きなものでした。
ではなぜ、シラオイコタンが400人近くも住む大きなコタンとして繁栄したのでしょうか。その理由を、伝承者の方から聞いたことがあります。
そのときのお話では、遠い昔、シラオイコタンにはシシラオイウンクル(昔から白老に住んでいる人)だけが住んでいたそうです。あるとき、東の方で戦いに敗れ、逃げてきた人たちがウトカンベツ川の奥に隠れているのをシシラオイウンクルが助け、シラオイコタンに住まわせました。
さらにその後、別の人たちが東から来て、助けを求めました。シラオイコタンの人たちは、その人たちも助けましたが、そのとき既に、シラオイコタンには多くの人が住んでいたので、白老川を渡った対岸にコタンをつくって住むことを許しました。そして、その人たちにはブウベツ川流域を与え、ブウベツ川に上がるサケやマス、流域に生息するシカやクマ、山菜などをとって生活するようにと言いました。
そのコタンは、白老川を渡ったところにあるので、クスンコタン(川を渡ったところにあるコタン)と呼ばれ、そこに住む人びとはクスンコタンクル(クスンコタンの人)と呼ばれました。このお話を聞かせてくれた伝承者の方も、「自分の先祖はクスンコタンクルだ」と言っておられました。
やがて、クスンコタンクルもシラオイコタンへ移住し、現在ではクスンコタンがあった場所は牧場になり、山も削られて、すっかり変わりました。白老川の対岸にコタンがあったことさえも、忘れ去られようとしています。
しかし、シラオイコタンが大きなコタンだった理由の一つに、助けを求める人たちを受け入れる寛容さがあったことだけは、いつまでも忘れないでいてほしいと思います。
(苫小牧駒沢大学客員教授・岡田路明)
※次回は12月2日に掲載します。