(4) シレトコ 自然公園に壮大な物語 鯨の尾は萩野の山に

  • アイヌ語地名を歩く 白老, 特集
  • 2019年11月4日
アイヌ民族の物語が残る白老町萩野のシレトコ。現在、萩の里自然公園として利用されている
アイヌ民族の物語が残る白老町萩野のシレトコ。現在、萩の里自然公園として利用されている

  白老には、知床という地名が2カ所あります。知床と言えば、世界自然遺産に指定された道東の知床半島が有名ですが、この”シレトコ”という地名は、アイヌ語地名としては珍しい名前ではありません。ただし、現在も地名として使われている場所は少なく、道東の知床半島や釧路市の知人町など、数カ所しかありません。

   多くの”シレトコ”は、北海道に和人が入って地名が変わる中で、使われなくなりました。白老町内の2カ所の知床もその例で、現在は河川の名前として知床川が残るだけです。

   白老の2カ所の知床のうち、1カ所は「萩の里自然公園」になっている山です。現在は萩野という地名になっている地域も、かつては知床という住所でした。この萩野のシレトコには、壮大な物語が残されています。

   その昔、このアイヌモシリ(北海道の大地)が造られたころ、海には大きな鯨がすんでいました。その鯨はとても大きく、頭と尾がいつもけんかをしていました。頭が言うには、「自分がいるから行く方向も定められて、どこへでも行ける」と。一方、尾の方も「何を言っている、自分がいるからこそ、前へ進むことができる」と言い張り、いつも言い争いになっていました。それを見ていたコタンカラカムイ(人間や動植物のすむ世界を造った神)はとても怒り、「そんなに仲が悪いのなら、二度とけんかをできなくしてやる」と言って、大きな鯨を二つに切り、頭は登別に、尾は白老へ置いて、その間に倶多楽湖のあるクッタルシヌプリ(窟太郎山)を置き、頭と尾が互いに相手を見ることができないようにしました。

   頭はその後、岩となり、フンペサパ(鯨の頭)と呼ばれるようになりました。現在の登別港の西側にある山がフンペサパなのですが、岩石の採取や港の開発が進み、鯨の頭には見えなくなりました。

   尾は山となり、萩の里自然公園として利用されています。この山は、地図で見ると鯨の尾のように広がっていて、物語が作られたころの形を残しています。

   (苫小牧駒沢大学客員教授・岡田路明)

   ※「アイヌ語地名を歩く」は毎月第1・第3月曜日に掲載します。

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