文化庁はこのほど、歴史的・文化的に重要な由緒を有する古道や交通関係道路の保存推進を目的とした「歴史の道百選」(1996年に全国78カ所選定)に、新たに様似町の「様似山道」とえりも町の「猿留(さるる)山道」など36件を追加選定した。選定は両山道で1件。
2018年に国の史跡名勝天然記念物に指定されている様似山道と猿留山道は、200年以上前の1799(寛政11)年の同時期、幕府の命で蝦夷地で先駆けとなる官製山道として造られた。両山道には日本中を測量で歩き日本地図を製作した伊能忠敬、「北海道」の命名者で探検家の松浦武四郎も通行している。各山道には人馬を代えて送る人馬継立(じんばつぎたて)の制度を整え、山道途中に小休所が設けられ、様似山道には明治時代初期に宿屋もあった。
様似山道は冬島から幌満まで全長7・1キロのうちの山道跡が良好な4・5キロ。道路幅は約0・9メートル。急峻(きゅうしゅん)な山道は造成4年後の1803(享和3)年に南部藩が幕府への出願により改修している。また、73(明治6)年から85(同18)年まで宿屋の原田宿が営業。1927(昭和2)年に沿岸道路の完成で山道の利用は激減した。
猿留山道は歌別方面から目黒までの経路の全長29・5キロのうち、豊似岳の山麓を通る庶野と目黒地区の延長6・3キロ。道幅は約0・9メートル。山道の沼見峠には江戸時代に建立の妙見菩薩石像などが現存し、地元有志による供養も実施。山道は1885年に海岸寄りに新しい猿留山道が造られ、江戸時代の猿留山道の一部は使われなくなり、1934(昭和9)年の海岸道路の完成で利用は減少した。
「歴史の道百選」の選定は初選定以来23年ぶりで、今回が最後。選定総数は114件。新規の36件には、お遍路さんで知られる「四国遍路道」(四国4県)や、俳人の松尾芭蕉ゆかりの「陸奥上街道」(岩手県)なども含まれる。
道内は、96年に桧山管内の福山街道(上ノ国町)=寅ノ沢~上ノ国八幡神社、勝山館跡・花沢館跡周辺=が選定され、様似、猿留山道が2カ所目。