〈8〉 「共生の方法」を考え続けること

  • 土地と人と 地域創造への挑戦, 特集
  • 2019年10月25日
地元の大人や子ども、地域外の音楽家、美術家、俳優などが共創したステージ=9月、白老町での飛生芸術祭2019

  ユネスコ総会で採択された「文化的多様性に対する世界宣言」の一節、『文化とは、特定の社会または社会集団に特有の、精神的、物質的、知的、感情的特徴を合わせたものであり、また、文化とは、芸術・文学だけではなく、生活様式、共生の方法、価値観、伝統及び信仰も含むものである』。その中にある”共生の方法”をテーマとした住民参加型の公開討論会を昨年2回白老町で開催し、多様な価値観に出会うことができた。

   この討論会開催のきっかけは、町広報や掲示板などでよく目にしていた、町が掲げる「多文化共生のまち実現へ」というメッセージへの純粋な疑問からだった。共生とは何か?、どんな共生を描いているのか?、その実現へ向けどんな取り組みがされているのか?。個人的に疑問を持ち、役場職員や町議員にも質問したこともあった。

   価値観や志、生活環境、生まれ育った背景や仕事の考え方は一人ひとり異なり、また隣町だって近いようでたくさん違う。この違いを認め合い、違いが面白みになるような社会に私は希望や期待を感じてきたが、公開討論会の中で「誰かにとってのユートピアは、誰かにとってのディストピア」というキーワードがパネリストの1人から発せられ、その後多くの意見が重ねられた。ともすれば理想ばかりを描いてしまいがちな”共生”であるが、どこかに排除や搾取的なことが起こり得るだろうことも理解すべきであり、ロマンチックな言葉だけでは片付けられないと感じた。

   また出席者の役場職員は「地元のカタ(方)」を調べているそうで、「料理の作り方、食材の取り方、生かし方、楽しみ方を学び、仲間と楽しみながら次の世代に伝えていきたい」との発表があり、一緒に生きる方法、この町での生き方を考える、これも共生の方法だと感じた。

   私たちには昨年の胆振東部地震直後に共生体験があった。飛生芸術祭の開催直前準備に集っていたゼロ歳児から70代までが、地震によるインフラ起動停止の中、余震に備え、復旧作業を協働し、食糧を分け合い、火を燃やして暖を取った。それは、描く共生ではなく、危機迫る目の前を生き延びるための共生の方法だった。

   共生の方法には模範回答があるわけではなく、常に多様な価値観の中にあるはずだ。それぞれが考え続けたり、議論が行き来し広がっていくことが良いのだろうと思う。私たちが町で取り組んでいるさまざまな文化プロジェクトや飛生芸術祭も同じく、今自分たちがいる地点を顧み、思考を鍛え、人々との協働を恐れず、共生の方法を共に考えるための一つの装置になっていけば良いと考えている。

  (文化芸術事業プロデューサー・木野哲也)

   ※「土地と人と」は毎月第2・第4金曜日に掲載します。

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