とまこまい広域農業協同組合(JAとまこまい広域、本所厚真町)の宮田広幸組合長が膵頭部(すいとうぶ)がんのため、27日に69歳で急逝した。胆振東部地震の被災地の復旧が進み、コロナ禍も経て地域の農業に新たな光が差してきた中での突然の訃報。苫小牧市内で営まれた30日の通夜、31日の告別式には多くの人が参列し、故人をしのんだ。
宮田さんは穂別村(現・むかわ町)出身。1992年に37歳で旧穂別農協理事に就き、98年から同農協副組合長。2001年に苫小牧市、白老町、安平町、厚真町、むかわ町穂別地区の各農協が合併してJAとまこまい広域が設立された際には当初から理事を務めた。19年2月に組合長に選任され、昨年3期目に入っていた。
葬儀委員長の堀弘幸同JA専務は、宮田さんと同時期に専務に就任。「われわれが就いた1年前に胆振東部地震があり、コロナ禍の感染症対策にも追われて大変だったが、組合長が指導力を発揮し、乗り越えてきた」と回顧。昨年4月、病気が分かった後も治療しながら仕事を続けていた宮田さん。同地震で水田に土砂が流入し、厚真町内で最後まで営農できなかった地区でも6年ぶりに米づくりが再開された今年、10月の新米プロモーションに参加した。亡くなる数日前まで自家用車を運転し、通勤していたという。「いつも落ち着き、思慮深い方で、(私たちも)安心して仕事ができた。地域に明るい兆しが見え、これからという時だったのに」と残念がった。
各自治体の首長からも信頼が厚かった。むかわ町の竹中喜之町長は「まだ早過ぎる。話にじっくり耳を傾けてくれる方で、これからのまちの発展に必要だった」と惜しむ。厚真町の宮坂尚市朗町長も「体調が優れない中でも信念に基づき、行動されていた。農業を基幹産業とする胆振東部地域は、今後も宮田さんの遺志を引き継ぎ、農村振興と生産力の増進に努めたい」と哀悼した。
宮田さんは27日朝、自宅で体調を崩し、苫小牧市内の病院に搬送されたが、容体が急変し、息を引き取った。家族は「人との和を何よりも大事にし、真面目で仕事にいちず。(病の発覚後も)つらさを決して表に出さず、普段通りに生活をしていた」と思いをはせ、「よく頑張ったね、と伝えたい」と言葉を掛けていた。