死刑という言葉を初めて聞いたのは何歳ごろのことだろう。「人を殺したら死刑」。先生か親か誰かが教えた戒め。行動の指針にはなっていたと思う。
きっと小学生の頃だ。何かで読んだのかもしれない。裁判の仕組みなどまったく知らず、命の重さや死の怖さも考えたことがなかった時代のこと。気になる裁判の報道を読んでいて、思い出した。
昨年3月、東京都目黒区の船戸結愛(ゆあ)ちゃん=当時5歳=が「ゆるしてください」という悲しいメモを残し、食事を与えられずに虐待されて死んだ事件。母親(27)には9月中旬、懲役8年の判決が出され、母親は同30日に量刑を不服として控訴している。
父親(34)の裁判員裁判も7日に結審した。3日の公判では、証人として出廷した母親が目撃した虐待の様子を証言した。「おなかをサッカーボールのように思い切り蹴ったり厚紙でたたいたり」。4日の公判で、検察官に結愛ちゃんの気持ちを問われた父親は、泣きながら「親になろうとしてごめんなさい」と謝罪したそうだ。
7日の公判で検察側は「1カ月以上、飢えの苦しみを与え、いじめ抜いた犯行は比類がないほど悪質」として懲役18年を求刑した。弁護側は類似事件を例に「懲役9年が相当」との見解を示したそうだ。判決は15日言い渡される。
悲惨な虐待はどうすればなくすことができるのか。適切な刑罰とはどんなものか。考える。(水)