ランジェリーショップエルム店長 東城 静江さん(77) 納得できる商品提供 今も変わらず

  • ひと百人物語, 特集
  • 2019年10月5日
当時の従業員と写る東城さん(右)=1980年ごろ
当時の従業員と写る東城さん(右)=1980年ごろ
「エルム」の店長として勤務を続ける東城さん。手に持つのは開業50周年を記念し仕入れたという数十万円のビスクドール
「エルム」の店長として勤務を続ける東城さん。手に持つのは開業50周年を記念し仕入れたという数十万円のビスクドール
現在のプラザの従業員と。左が東城さん=9月
現在のプラザの従業員と。左が東城さん=9月
「プラザはいつも整備が行き届いていてきれい」と利用客から褒められた花壇=2000年ごろ
「プラザはいつも整備が行き届いていてきれい」と利用客から褒められた花壇=2000年ごろ

  オープンしたのは1970年8月。今年、開業50周年を迎えた苫小牧市表町のファッションメールプラザ。東城静江さんは、オープン当初から女性用下着などを扱う「ランジェリーショップ エルム」の店長として仕事を続けている。同プラザで開業当時から働いているのは東城さんただ一人だ。

   42年に5人きょうだいの2番目として産まれた。実家は平取町振内で衣料品店を経営。物心ついた頃からきょうだいと共に店の手伝いをしていた。札幌や小樽、東京など仕入れにもよく同行した。東城さんは「仕事の原点はここにある」と振り返る。

   高校を卒業してからも店の手伝いをしていたが、27歳の時、親が苫小牧市の中心部にファッションビルが建つと知り、店内にテナントを用意してくれた。70年8月、プラザの前身である「苫小牧ショッピングプラザ」の開業と同時に「エルム」はオープンした。

   当時は高度経済成長期の真っただ中。苫小牧初のファッションビルという話題性もあり、オープン初日は大繁盛。地下1階から地上3階まで、店内は開店10分もたたずに買い物客であふれかえり、エルムの売れ行きも好調。展示ケースがあっという間に空っぽになり、開店から1週間で東京のメーカーへ急きょ仕入れに行かなければならなかった。

   それまで縁のなかった苫小牧での初めての店舗経営だったが「子供の頃から慣れ親しんでいる世界だったので不安はなかった」と話す。下着や部屋着などの商品は道内外の展示会へ出向き、実用性はもとより、自分の感性に合う美しくきれいなものにこだわって選んだ。好みの雑貨も販売するようになり、「当時から品ぞろえは独特だと思う」と店内を見てほほ笑む。その感性が次第に利用客に評価され「エルムの商品は質が良く高級品だ」とプレゼント用に好まれるようになった。

   当時は近隣にある王子製紙の社宅に住む人たちの利用が多く、駅前通り全体がにぎわっていた。プラザも衣料品店や飲食店など4フロアに約30店舗が入店し、上階にはゲームが楽しめるプレーランドもある”総合百貨店”だった。

   現在、当時のテナントの多くは撤退してしまったが、東城さんの「自分の納得できるものを売る」というスタイルは今も変わらない。自らも店頭に立ち続け、パート従業員と2人で店を運営している。

   最近は空きスペースを活用し、市民の芸術作品を展示するギャラリーの企画、管理も担当。店舗を経営しながらプラザ全体の活性化を目指している。また、テナントの従業員全員で古着を集めて発展途上国へ寄付する活動などにも積極的に取り組んでおり、チームワークが良く毎日が楽しいという。

   プラザのキャッチフレーズ「夢とやすらぎのファッション空間」にぴったりした交流の場をつくっていきたいと言い、「最後までやるしかないという気持ち。店は事情が許す限り続けていきたいですね」と力強く語ってくれた。

  (小玉 凜)

   東城 静江(とうじょう・しずえ) 1942年3月、平取町生まれ。60年、小樽緑陵高校卒業。苫小牧駅前通商店街振興組合の副理事長を務め、同商店街の「とまチョップミュージアム」の展示企画なども行う。苫小牧市新明町在住。

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