旧島松駅逓所で米作りを成功させ、「寒地稲作の祖」と呼ばれる故中山久蔵氏の功績を振り返る行事、中山久蔵翁没後100年記念シンポジウムが23日、北広島市芸術文化ホールで開かれた。有識者3人が中山氏や駅逓所を訪ねた明治天皇の足跡を紹介した。
今年は、赤毛種を栽培した中山氏が1919年に92歳で亡くなって100年。市が主催し、約120人の市民が集まった。
講演したのは酪農学園大の郡司美枝講師、市民団体「中山久蔵を顕彰する会」の村井明さん、明治神宮国際神道文化研究所の打越孝明主任研究員。
このうち郡司さんは「北海道稲作と中山久蔵」のテーマで時代背景や中山氏が取扱人を務めた駅逓所を紹介。開拓使が屯田兵に稲作を禁じる中、中山氏が稲作を試みた理由を、「米を食べたい他に、わらやぬかを採れない不便を感じたのだろう」と解説。明治天皇と稲作の話を交わし、代表的存在になったとした。
駅逓所の歴史では巡幸10年記念から相次ぎ建てられた石碑を説明。中山氏をはじめクラーク博士や明治天皇などの接点を持ち、「駅逓所周辺はいろいろな要素を持ち、石碑からその全体像が見えてくる」と語った。