胆振東部地震から1年。いまだ傷跡癒えない中で、鵡川が3年ぶりの秋季全道大会切符をつかんだ。練習時間や寮生活、どれをとっても満たされていた3年前のブロック決勝(対駒大苫小牧4―1)とは取り巻く環境が大きく違った。それでも強豪私立を再び破ることができたのは、二つの大きな転換点があったからかもしれない。
見るからに頑丈そうなむかわ町の旧野球部寮が、身の危険を感じるほど大きく揺れた。昨秋の支部予選初戦を5日後(当初)に控えた、9月6日未明に発生した震度6強の地震によって寮が半壊。学校グラウンド一塁側の防球ネットも倒壊するなど、「野球をするどころじゃない」(鬼海将一監督)状態に追い込まれた。
選手はむかわ町外出身者がほとんどだったため、一時的に各自の実家へ避難。再集合したのは、震災のため日程が変更になった初戦(14日)の3日前だった。出場はなんとかかなったが、試合は敗戦。ただ、その翌日にすぐさま先頭に立って行動したのは、内海陸元主将(3年)ら当時の2年生選手たちだった。
「困っている町民のためにできることを」と指導者陣にボランティア活動を志願。一般家庭や農家のがれき撤去など、地域住民との関わりを密にする中で「試合に勝つことばかり考えていたのが、自分たちは周りに支えられていることを知った」きっかけになった。
当然、自分たちも被災者。今年1月に全国初となる寮仕様の仮設住宅に入った。大浴場だった旧寮とは異なり、4台のユニットバスしかなく、1人十数分程度で交代しながら入浴や洗濯を行う。時間確保のためには練習時間を削るほかなかったが、「効率よく時間を使えるようになったし、慣れた。練習が短くなった分、ミーティングをする時間を多くした」と捕手の佐々木隼斗(2年)は言う。
震災を通じてたくましくなったチームは今夏の南大会に見事進出。北海道の聖地札幌円山球場で勇姿を披露した。
貴重な経験値を蓄え、2年生以下の新チームが士気高く秋に向かうさなか、訃報が入る。鵡川の礎を築いた佐藤茂富氏が8月19日、79歳でこの世を去った。「このタイミングだ」。鬼海監督は選手たちに、在りし日の名将が記録された映像や新聞記事などを見せ、チームの追い求める「究極の全力疾走」をもう一度説いた。
エースの稲葉美徳(2年)は「こんなにすごい人だとは知らなかった」と感銘を受けた一人。「全力疾走の大切さを実感できた」ことで、チームはさらに一体感を増した。そしてつかんだ秋の全道切符は格別なものになった。優勝後のインタビューで鬼海監督がはにかみながら語った。「これで少しは(佐藤)先生に怒られずに済むかな」。無論、恩師はきっと天から活躍を喜んでいるはずだ。