陸上自衛隊が各部隊に装備している、野外給食の専用装備品「野外炊具」。陸自は野外活動が基本とあって、炊飯できる機材は驚くほど充実している。けん引車両に炊飯できる高圧釜を六つ備え、釜一つにつきご飯100食分が炊ける。胆振東部地震で被災した厚真、安平、むかわの3町でも、この野外炊具がフル回転。昨年9月8日から同10月13日まで、第7師団は3町で13万5000食を提供した。
第71戦車連隊はむかわ町の給食を担当し、増井遼2尉は中隊の運用訓練幹部として、支援の基盤を整える初動から活動した。町役場と道の駅四季の館の駐車場を使うため、関係者との交渉や調整をまず行い、炊事が始まると献立の立案や配食の段取り、食材の管理などに追われた。
むかわの炊き出しは、自衛隊がご飯と汁物、ボランティアがおかずと分担した。朝、昼、夜の1日3回、ピークで1100食。米だけでも野外炊具を2回、稼動させる。時間も限られる作業だったが「お年寄りが多いのでご飯は軟らかめ。水の量を若干多く、べちゃべちゃにならないように」など工夫を重ねた。
配食2時間半前を目安に作業を開始。隊員はご飯、汁物の二手に分かれ「分業制でプロフェッショナルを作った。すごい量で目の前の作業に慣れることが必要だった」。野菜の皮むきなど機械で省力化できる作業もあるが、米とぎをはじめ、へたや芽を取ったり、食べやすい大きさに切ったりと手作業は膨大だった。
管理栄養士と話し合って翌日の献立を考える日々。「飽きないよう、きょうはみそ汁だから、あすは中華風にしようか」などと熱心に議論した。メニューや栄養バランスはもちろん、配食する皿などは両手で持てる範囲に。「ご飯、みそ汁、おかずと皿が三つあると、両手で持てない。ご飯に盛っても大丈夫なおかずを考えた」と振り返る。
日がたつにつれて町民との交流も増え、自然と笑顔であいさつする機会が増えた。「行政と自衛隊の配食を比べると、自衛隊が盛りがちだったので、訪れた方に『きょうも大盛りですね』とか言って笑ってもらうようにした」。場を和ませたるよう心掛けたのは、配食を待つ人の不安や緊張を解きほぐすためだ。
常に双眼鏡をぶら提げてトレードマークにした。子供たちに「双眼鏡のお兄さん」として定着し、「これ、のぞいてごらん」などと気さくに接した。子供から「おいしいからまた食べにきたよ」と書いたお礼の手紙を受け取り、「テレビとかでよくある話だけど、本当にもらえるんだ」と思わず顔をほころばせた。
兵庫出身、防衛大卒。5歳のころに阪神・淡路大震災(1995年)で被災し、自衛隊の入浴支援を受けた経験などが、自衛官を志したきっかけだ。小さいころに体感した、国民と共にある自衛隊。「これからも優しい自衛隊、自衛官でいなければ」。認識を改めて強くした。