陸上自衛隊第7師団で最大の「マンパワー」を誇る第11普通科連隊。昨年9月の胆振東部地震で厚真ダムの応急復旧作業に当たった。地震でダム本体に損傷はなく、「決壊の恐れ」こそなかったが、放水設備が山の崩落で被害を受け、早急な機能回復が求められていた。第7師団は厚真町で人命救助の担当を終えた部隊から、「マンパワー」重視で部隊を投入した。
厚真の市街地からダムまでは甚大な被害を受けた吉野地区などを経由するため、当初は自衛隊車両が近づけなかった。木更津駐屯地(千葉県)の大型輸送ヘリコプター、通称「チヌーク」を運用し、加藤1尉が指揮する第4中隊の隊員約40人が先陣を切った。運ぶ資機材はつるはしやチェンソーなど持てる範囲。ダム堤体から下流に約500メートル離れた広場に降りた。
大雨など緊急時に使うダム左岸の水路、総延長約400メートルに土砂や倒木が流れ込み、最大で水路断面の半分ほどを埋めていた。普段は水を流さない水路で「すぐに危険、という状況ではなかった」と冷静に振り返るが、ダム近傍の山は頂からのり面が半分ほど崩落。「(大雨などの緊急時)倒木だけでも取り除かないと、水はスムーズに流れない」と肌身で感じた。
堤防の柵などにロープを結び、底まで約5メートルの深さがある水路の斜面から進入。倒木を人力で運べる程度の大きさに切り出し、隊員が並んでバケツリレーの要領で運び、集積場所を一次、二次と移していく地道な作業。土砂は文字通りバケツに入れて運んだ。重たい倒木などはロープでくくり、水路の上から力を合わせて引っ張り上げた。11連のみでさらに2個中隊を追加し、総勢約200人が水路を埋めるように作業した。
重視したのは「二次災害の防止」。大きな余震などに備えて避難ルートをあらかじめ決め、緊急離脱用のロープも水路内に何カ所も垂らしておいた。崩落した山や土砂の状況に常に目を光らせ、変化があれば警笛で知らせる隊員も配置。「被害が出て救助が必要になれば本末転倒。任務を達成するためにどうするかを考えた」と強調する。
隊員は力仕事が主体になるため、50分ほど作業しては10分間の休みを入れ、できる範囲で作業内容もローテーションにした。チェーンソーも使い過ぎで壊れないよう、油を差したり、刃を変えたり、メンテナンスを重視した。「隊員も、機材もずっとはできないが、一丸で『やってやろう』という気持ち」。組織力で倒木や土砂を水路から運び出し続けて要請に応えた。
自身は2007年の新潟県中越沖地震、11年の東日本大震災などで災害派遣を経験してきたが、これまでは給水などの民生支援、言わば「被災者の顔が見える支援」が主だった。誰もいない山奥での作業に「いろいろな場所、さまざまな内容の支援を、自分でも再認識した」。自衛隊が陰日なたなく被災地を支えた。