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  • 2019年9月12日

  結愛(ゆあ)ちゃん、心愛(みあ)ちゃん、璃愛来(りあら)ちゃん。「愛」の字に目が留まる。虐待を受け、幼い命を落とした子どもたち。まさに愛らしい写真に一層胸が締め付けられる。

  昨年3月、東京都目黒区で死亡した船戸結愛ちゃんは当時5歳。保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の優里被告は夫の暴行について、「止められなかったことは(自分が)殴ったのと同じ。私の行動すべてが死につながっている」と法廷でむせび泣いたという。

  痛ましい事件が起きるたびに、行政間の連携不足や、児童相談所が救うことはできなかったのか、と問題になる。事件の態様はそれぞれ異なり、相談所の職員数や体制もさまざまで、簡単に原因を突き止めることはできない。しかし、どの事件も突然起きたわけではなく、情報は幾つもあった。

  室蘭児童相談所の苫小牧分室が2021年度開所を目指している。苫小牧市の子ども家庭総合支援拠点と連携し、担当者が情報を共有しながら虐待の通報への対応や、家庭支援の強化を図るという。しかし、施設ができれば何とかなるというものではない。

  どんな願いを込めて、親はこの名前を付けたのだろう、とつい考えてしまう。愛情の多寡は誰にも量れない。暴力への恐怖が判断力を失わせることもある。閉ざされたドアの内側ではどうにもできない状況を、外から動かせる機関にしなければならない。(吉)

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