昨年9月6日の胆振東部地震は関連死を含めて44人が犠牲になった。中でも厚真町では大規模な土砂崩れが家屋をのみ込んだが、自衛隊、警察、消防が総力を挙げて発災から約94時間で全員を発見した。陸上自衛隊第7師団(司令部・東千歳駐屯地)は人命救助に約4500人を投入し、生存者を含めて26人を発見した。
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最も深刻な被害を受けた厚真町吉野で、人命救助を担った部隊の一つが第7特科連隊。厚真町を含む胆振東部3町が警備隊区で、辻2尉は「普段からまちの方と交流してきた」と強調する。厚真の一大イベント田舎まつりや防災訓練を通して町民と触れ合ってきた。
そんな厚真町の大規模災害を受けて発災当日、夜明けを待たずして東千歳駐屯地をたった。「現場付近は地割れなどで自衛隊車両が通れず、田んぼの間とかを迂回しながら進んだ」。小隊長として隊員10人を率い、発災から4時間足らずで吉野に着いたが「地震が与えた影響にびっくりした」と息をのんだ。
任務は倒壊家屋からの人命救助。地図を渡され「住宅から住民2人を助けて」と指示を受けた。が、そこにあるはずの住宅はない。後背の山から地滑りした土砂が住宅を押しつぶし、数十メートル下流に屋根だけが見えた。背丈ぐらいの高さに屋根があり、基礎部分などは判別がつかなかった。
救出は「基本マンパワー」だった。当初は道路が寸断され、重機が現地に入れなかった。スコップで大まかに土砂を掘り起こし、家具などの破片が出てくるたびに、対象者を傷付けないよう手作業に切り替えた。割れたガラスなどが散らばり、くぎがあちこちから飛び出す中、隊員たちは両手で地べたの固まった土砂を少しずつ取り除いた。
住宅の間取りなどの情報は地域住民から寄せられた。「2人の寝室はこっちの方」―。隣近所の結び付きが強い地域とあって情報は具体的だった。始めは屋根の回りで作業を集中したが、土砂から出てくる調味料などを基に「ここはキッチンだから、寝室は向こうの方」。予想が付きやすくなり、途中から重機も入って、作業が進んだ。
小隊長の立場で「早急に見つけるためにどうしたらいいか」を第一に考えつつ、「隊員が最後まで頑張れる体調、安全管理」に気を配った。作業の内容や休憩などはローテーション。「誰かが働き過ぎたりしないように」しながら、3日以上に及んだ捜索を指揮した。自身の睡眠は自衛隊車両の座席。1~2時間寝ては作業に戻る夜が続いた。
防衛大卒で初の災害派遣だったが、「救助しなければ」の思いが体を突き動かした。余震が起きるたびに「自分たちも死ぬかもしれない」と緊張感を覚えた過酷な現場。捜索した住宅では2人が亡くなっていた。「生きた状態で見つけられなかったので悔しさはあるが、家族の元へ戻してあげることはできた」