「きれいになってよかった。お父さんが来たよ」
千歳市北信濃で8月、元教員の前田敏章さん(70)=札幌市=は工業団地の道路脇にひっそりとたたずむ観音像の前にいた。生い茂る雑草を抜き取り、丁寧に水拭きした。観音像を見詰めながらそっと手を合わせ、心の中で話し掛けた。
像の名前は「聖千尋観音」。この場所で約24年前、車にはねられ亡くなった長女千尋さん(当時24)の名前から取った。「二度と悲惨な事故が起きないように」「娘を忘れないでほしい」との願いを込めた。1999(平成11)年に建立してから毎年、命日やお盆の時期などには自宅から通って掃除し、手を合わせている。
事故は95年10月25日午後5時50分ごろに起きた。恵庭北高校(恵庭市)の2年生だった千尋さんがJR長都駅から帰宅中、後ろから来たワゴン車にはねられた。自宅まで約400メートルの地点だった。楽しみにしていた関西への修学旅行を3週間後に控え、友達と計画を練っていた。
運転手の女性(当時35)は、午後6時までに銀行に間に合うよう急いでおり、時間を知るためにカーラジオを操作したところ、前方の千尋さんに衝突した。千尋さんは5メートルほどはね飛ばされ即死した。
「死を信じたくなかった」。千歳高校(千歳市)で当時、理科教員をしていた前田さんは事故から約40分後、警察から職場にかかってきた電話で事故を知った。無我夢中で病院に駆け付けたが、病室の娘はすでに息を引き取っていた。
札幌地裁は原因を「前方不注視」と認定し、禁錮3年、執行猶予3年の判決を女性に言い渡した。「愛する娘が死んだのに、あまりにも軽い判決だと思った」と振り返る。今も考えは変わらない。
絶望の日々が続き、テレビを見ることも読書もできなくなった。虚無感の中で疲れ切った。かろうじて教員は続け、普通に振る舞ってみたが「楽しいことや将来の展望は何も見えなかった」。
99年9月に一つの転機が訪れた。道警からの協力要請で「北海道交通事故被害者の会」を設立することになった。
娘の死を無駄にしない―。その一念に突き動かされ、代表に就任し、会の運営に集中した。「被害者支援」と「死傷被害根絶」の趣旨に賛同する119家族がこれまでに参加した。
前田さんはひたむきに活動を展開し、中学、高校、大学や刑務所、少年院など道内を中心に啓発活動を続けた。これまで507回、計9万人超の人たちに遺族の苦しみや悲惨な交通事故被害を訴えた。2018(平成30)年度は37回、講話を重ねた。「天国の娘の無念さを語るのが、残された私の使命だと思って人前に立っている」と話す。
会は今年で20周年を迎える。年3回発行の会報は60号に達した。「こんな苦しみは私で終わりにしたい。被害会員はもう増えてほしくない。犠牲者が出なくなるような総合的な施策を社会に求め続けていく」
(八重樫智)
前田 敏章(まえだ・としあき) 1949(昭和24)年6月、空知管内北竜町生まれ。72年北海道大学理学部卒業、物理学専攻。73年道立高校教員。2010(平成22)年3月まで旧稚内商工高校(稚内市)や千歳高校定時制課程(千歳市)などで理科教員として勤務。札幌市西区在住。