昨年9月6日の胆振東部地震で最大震度7を観測した厚真町では、町民37人が命を落とした。町民吹奏楽団で長年指揮者を務めた町高丘の松下一彦さん=当時(63)=もちょうど1年前のこの日、土砂崩れに巻き込まれ、犠牲になった。大黒柱を失ったメンバーたちの悲しみは今も癒えないが、同楽団は心を込めてタクトを振り続けた松下さんとの思い出を胸に、地域で美しい音色を奏で続ける。
今月2日夜、豊丘天満宮の前で行われた恒例の祭り。高校生を含む町民有志でつくる吹奏楽団が先陣を切ってステージに登場した。そこに指揮者はいない。パーカッションのスティックの音に合わせて演奏が始まると、メンバーたちは生前の松下さんの姿を思い浮かべながら「春よ、来い」「上を向いて歩こう」など5曲を力いっぱい披露。会場からは温かい拍手が送られた。
「最後の指揮をしたのが昨年9月2日のこの祭り」。楽団創設からの仲間だったという矢幅敏晴さん(63)は感慨深げに語った。1年前の同じ日、同じ場所で確かに松下さんはタクトを振っていた。「正直、今でも亡くなったことが信じられない」。複雑な思いが頭の中を駆け巡る。
松下さんは、1986年の創設当初からのメンバーで指揮者を約30年間務めた。リーダーシップを発揮し、引っ張るタイプではなかったが温厚な人柄を慕って、自然と周りが付いて行くような存在だった。昨年の地震に伴う土砂崩れで自宅がのみ込まれ、息子の陽輔さん=当時(28)=と共に帰らぬ人に。矢幅さんは震災翌日に訃報を知らされ、「どうして高丘地区で松下さんの家だけが」と嘆いた。
楽団には自宅に戻れず、避難所生活を強いられたメンバーもおり、2カ月ほど練習できない状態が続いた。それでも昨年末に地域の子ども園で行われたクリスマスコンサートで活動を再開。今年に入ってからもイベントなどへの出演要請にはできる限り応え、松下さんとの思い出を胸に演奏を重ねてきた。
「もう1年かという思いと、ちょっと前に地震があったような感覚が交錯している」と矢幅さん。もともとメンバーが20人ほどと多くはない楽団で、当面は専属指揮者不在という状況が続きそう。残されたメンバーは松下さんの遺志をしっかり受け継ぎ、心のこもった音楽で町に光りをともしていく。