「一瞬声が出た後は言葉にならなかった」。厚真町の米農家、末政知和さん(26)はかつて豊かな稲穂を実らせた水田があった場所に立ちながら、1年前を振り返った。
大きな揺れの後、食器が散乱する自宅を飛び出し、毎日通う幌内の水田へ。目の前の田んぼには大量の土砂が流れ込み、農業機械も土の中。あまりの状況にぼうぜんと立ち尽くした。その水田は現在、土砂の仮置き場になっている。トラックが往来する様子を見ながら、田んぼの近くで独り住まいをしていた祖母の久美子さん(80)が無事だったことを挙げ、「唯一、救われたこと」と語った。
同町で生まれ育ち、米作りをしていた祖父の清(あきら)さん(85)を慕った。幼少時はよく農作業を手伝い、厚真高校を卒業後は苫小牧で就職。3年目が過ぎたころ、体調を崩した祖父から後継ぎを請われ、20歳で農家として生きることを決めた。
地元の先輩たちに支えられながら米作りを学び、一人前になれたと感じ始めた矢先に被災。大切だった水田は土砂に覆われ、復旧工事の土砂の仮置き場に姿を変えた。米作りができず、今は町役場近くの実家で暮らしながら、アルバイトで生計を立てている。
不安の中にいたが、今年に入って「下ばかり向いていられない」と奮起。国や道の支援金に蓄えを足し、田植機やトラクターなどを買いそろえた。祖父から受け継いだ米作り。「黄金色に輝く稲穂を再び収穫できる日までこの場所で生き抜く」と覚悟を語る。
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厚真町の農業被害は深刻だ。土砂崩れなどを引き金に少なくとも10戸が離農。25戸は仮設住宅から農地に通って営農を続ける。末政さんのように復旧に数年以上を要する農家は8戸に及んでいる。
土砂の撤去完了は最短でも3~4年はかかる見込みで、営農再開の時期は見通せない。地元農家からは「土砂仮置き場の農地が元に戻るまでには5年以上」との見方もある。
農家が多かった集落は震災を契機に地域のつながりが希薄になった。土砂崩れの被害に遭った吉野地区をはじめ、自宅と農地が隣り合っていた高丘や富里地区などは、仮設住宅から通う農家が増えたことで近所付き合いが減った。そんな目に見えない影響もある。
とまこまい広域農協やむかわ農協によると、3町で501世帯の農家が被害を受け、農業被害金額は約30億円に達する。安平町では震災直後に生乳廃棄などが相次ぎ、むかわ町は農業分野の人手不足が深刻化している状況だ。
農業の復興にはまだ時間がかかるが、JAとまこまい広域の宮田広幸組合長(64)は「地元農家が元気で頑張る姿を全国の皆さんに早く見せられるよう力を合わせていく」と前を向いた。
(胆振東部地震取材班)
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東胆振で生活する人たちにとってこの1年はどんな日々だったのか。地域の課題を探りながら現地で取材した。5回連載。