白老町虎杖浜地区のポンアヨロ川河口左岸に立つアヨロ鼻灯台から、海岸に沿って虎杖浜側を眺めると、海岸からやや上がった場所に、陸地が湾のように内陸側に入り込んだ地形が見えます。そこはアイヌ語で「オソロコッ」と呼ばれ、昔から物語と共に言い伝えられてきた場所です。
「オソロコッ」とは、そのまま日本語に訳すと「オソロ・コッ=尻・くぼみ」という意味で、そこから「尻もちをついた跡」という意味で使われます。この地名は他のまちにも残されていて、石狩市厚田区押琴(おしこと)や小樽市忍路(おしょろ)などにもあります。
アヨロの「オソロコッ」には、壮大な物語が残されています。白老町の伝承者の方から、40年以上も前に聞いた言い伝えでは、「ユカラ(英雄が主人公として語られる物語)に出てくるオキクルミが、沖で大きな鯨を捕り、それを浜辺で焼き串に刺して焼いていたが、鯨があまりにも大きいためになかなか焼けず、オキクルミはつい、うとうとと居眠りをしてしまった」
「そのうちに鯨はすっかり焼け、鯨を刺していた焼き串までもが焼けてしまい、鯨はどさっと地面に落ちた。その音に驚いたオキクルミは後ろに飛び退き、尻もちをついた。そのときにできた尻もちの跡が、このオソロコッだ」というものです。
しかも、アヨロの「オソロコッ」には、その時に鯨を焼いた「イマニッ=焼き串」までもが海の中に残されています。「イマニッ」といっても、海から突き出ている黒い岩。40年以上前に調査をした時には高さもあって、折れた焼き串の跡らしく見えたのですが、現在は波で浸食されてすっかり低くなりました。「オソロコッ」のやや虎杖浜寄りに海中から突き出ている岩が「イマニッ」です。
前述した石狩市の押琴や小樽市の忍路も、もしかすると同じような物語が残されていたのかもしれませんが、「イマニッ」まで残っている場所はアヨロだけだと思います。
◇
アイヌ文化復興拠点・民族共生象徴空間(ウポポイ)の来年4月開設を控えた白老町。この町にアイヌ語地名と共に数々残るアイヌの伝説地、コタン跡地などを岡田路明・苫小牧駒沢大学客員教授の執筆で紹介する。毎月第1・第3月曜に掲載。