平成2年、バブル景気はなお続いている。首都圏の土地高騰は天井知らずで、マイホームなどは夢。そこに宅地販売セールスをかけたのが苫小牧市で、これが飛ぶように売れた。
■マイホームの夢
前年の12月29日、日経平均株価が3万8957円の史上最高値を記録した。土地もどんどん値上がり、東京・山手線の内側の土地価格だけで、アメリカ全土の土地が買えるほどだ。庶民には「庭付き一戸建て」など夢のまた夢。そんなこの年の2月と4月、大手新聞の東京版に宅地販売の広告が載った。
「未来の鼓動が聞こえる街。三・三平方メートル五万円台からゆとりある選択」。場所は北海道苫小牧市錦西ニュータウン。「値段は格安。自然も豊か、都市設備も充実。苫小牧市」
■首都圏セールス
先年から住宅建設ブームが続いていた。職住分離から職住接近への政策の切り替えで、人気があるのは明野など職場に近い市街地東側。重厚長大時代に造成した錦西ニュータウンは150区画も売れ残り、市はそれを首都圏で売ろうとした。
新聞広告のほか、職員が池袋駅前で広告入りのポケットティッシュを配り、説明会も開いた。2月のセールスでは30件以上の問い合わせがあり、半数が現地を見に来た。とにかく売れて、「錦西」は9月までに完売。「錦岡鉄北」分200区画もほぼ完売した。
住宅が完成しないうちから苫小牧にやって来て、アパート住まいで職を探しながらマイホーム完成を心待ちにしている人もいた。
■冷え込み、冬の到来
戸建て建築ブームの次は、マンション、アパート建設が急増した。苫東ブームの時代に建てられたアパートが建て替え時期を迎えていたし、新たに単身者向けマンション、アパートが人気だ。「苫小牧の将来性」を見込んだ東京マネーが流れ込んできて、どんどん建てた。ところが、地価高騰抑止策の「不動産融資総量規制」で、次第に東京マネーが回らなくなった。バブルの崩壊がやってきた。
平成3年、苫小牧管内の倒産件数は前年比6割増、負債総額は2倍。地元不動産業界から首都圏不動産業者への転売も一気に冷え込んだ。冬の到来であった。
(一耕社・新沼友啓)
《平成2年に進んだ街づくりのソフト化》市民文化公園噴水ライトアップ/日吉運動公園、あけの公園など大面積多目的公園造成/公園デザイントイレ/「柏木の道」「泉野の道」