「パックを奪って貪欲にゴールしたい」と闘志を高めている。スピーディーなスケーティングを生かして敵とのバトルに勝ち、攻撃の起点をつくり出すのがプレーの持ち味だ。
苫小牧生まれ、苫小牧育ち。結婚前の旧姓は高。父の肇さんもアイスホッケー全日本選手権B級などで鳴らした強豪、山陽国策パルプ(日本製紙)で長く活躍したFW選手。小学生の頃は沼ノ端同好会に所属し、児童を教える名伯楽の神國朝さんからホッケーの神髄を仕込まれ、父と娘2代にわたって神さんから競技の”英才教育”を受けた。
戦況を広い視野で捉えてスペースをつくり出し、的確なパスを味方へフィードする。プレーの生命線ともいえる二つの能力について神さんは「児童のときから人一倍たけていた」と語る。
2018年平昌五輪、22年北京五輪と2大会続けて出場し、ベテランの域に差し掛かりつつある。若手選手とはスマホの使い方一つとっても「世代ギャップを感じるようになってきた」と笑うが、そんな身近な話題から距離を縮め、試合中でも攻守にわたるアイデアを出し合うなど自身のプレーを常にアップデートし続けている。
今回が故郷で迎える初めての五輪最終予選となる。「地元でこれだけ大きな大会に出られる機会は貴重」と笑顔を見せた。「知り合いや職場の人にも『頑張ってね』と声を掛けられた。応援をパワーに変えて頑張りたい」。強い意気込みをうかがわせる。
自陣でピンチの場面ではFWながら体を張って打ち込まれるパックを止め、チームを鼓舞し続けてきた。自らの競技キャリアを高める原動力となった「根性」が実戦のプレーのはしばしにほとばしる。
中学2年のときにレベルの高い競技環境を求めて大阪から”氷都”苫小牧に家族で移住。高校2年時には本場のカナダへホッケー留学した。「チャレンジすることが好き。どこに行くにもわくわくしている」と朗らかに語る。
苫小牧に移住した直後は周囲との実力差を痛感した。それを埋めるために誰よりもストイックに努力してきた自信がある―。当時所属していた三星ダイトーペリグリン(現・道路建設ペリグリン)の練習以外に学校部活、ホッケースクールの小学生向け基礎練習にも直談判して参加した。
多い日で最大3枠もの氷上練習をこなし、体はくたくた。見るからに疲労困憊(こんぱい)を心配する声にも「体はつらいけど、楽しいです」。常に笑顔で返していたという。
2018年平昌五輪最終予選に当時最年少で選出されたが五輪本番には選外だった。21年にはコンディション不調のため北京五輪の代表争いには参加すらできなかった。
「運がなかった」と振り返るが、めげることなく精進し続けて技術と体力、さらに精神力も高めた。最終予選メンバー一員として、3度目の正直で五輪出場をかなえる準備はできている。