市役所庁舎に掲げられた祝ラムサール条約登録の垂れ幕 平成3年、千歳川放水路計画の是非を巡って激論が交わされた。その沸騰の中でウトナイ湖がラムサール条約登録湿地に指定された。郷土の自然を巡る大きな出来事が重なった。
■放水路論議沸騰
千歳川放水路計画は千歳川流域の洪水対策のため、長沼から勇払まで最大幅400㍍、延長約38㌔の巨大水路を掘り通そうという計画。昭和57年に浮上し、賛否が沸騰したのが平成3年前後であった。
当時市長だった鳥越忠行氏は漁家に生まれ育った人だけに、海や自然環境への影響を懸念した。ただ、被災地域のことを考えると反対とは言えず「慎重姿勢」を続けた。これを国は「反対」と解釈した。
後年、同氏は「市内の河川改修で建設省(現国土交通省)などに陳情に行くと『ああ、苫小牧市長さん。河川改修はやっぱり必要なんですね』と皮肉を言われた」と振り返った。
■初の直接対話
道内の政党、団体は計画推進、容認、反対、慎重とそれぞれに態度を表明した。その中、開発局長と計画ルート上の美沢・植苗酪農組合の初の対話が行われた。昭和59年に放水路ルートが一方的に決められたことに地元は反発し、話し合いを拒否。それを開発政務次官だった鳩山由紀夫氏が仲介した。
開発局長は「これまで対応が不十分だった」と陳謝したが、地元は「放水路以前の治水対策の原点に戻すべき」と反発。その後、放水路建設の場合の農地再編案を含む「美沢・植苗地区整備構想案」がすでに存在していることが明らかになるに及んで、反対の姿勢は一層強固になった。結局、放水路計画は8年後の平成11年、消滅した。
■ラムサール条約登録
この論議のさなかの12月12日、ウトナイ湖と周辺湿地がラムサール条約登録湿地に指定された。2年前から日本野鳥の会、苫小牧自然保護協会などが登録指定への運動を展開、前年6月には登録指定への陳情を市議会が全会一致で採択していた。
「しかし、あの放水路計画進捗(しんちょく)の中で、よく登録が実現できたものだ」と後年、関係者は語る。「党派を超えて郷土の自然を世界に誇る気持ち」「市や議会の積極姿勢」、そんな理由が推測された。
(一耕社・新沼友啓)
《ラムサール条約》「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」。ウトナイ湖は世界で543番目、国内で釧路湿原、宮城県伊豆沼・内沼、浜頓別クッチャロ湖に続いて4番目の登録。