5歳の時に太平洋戦争が開戦し、幼い頃の記憶は戦争一色です。7人姉妹の6女だったので、きょうだいを戦地に送った経験はなく、日の丸に囲まれて出征する兵隊を見送るたびに「格好良いな、うらやましいな」と思っていました。
通っていた増毛国民学校では、校門前に立つ高等科の先輩や教育勅語の謄本が収められている奉安殿に礼をしてから校舎に入るという毎日でした。戦火は身近に感じませんでしたが、食料難には苦しめられました。空知管内妹背牛村(現・妹背牛町)まで妹と闇米を買いに行った思い出があります。
終戦は家族や近所の人と一緒に聴いた玉音放送で知りました。それから7日後の22日、戦争の恐ろしさを痛感させられる事件を目の当たりにしました。樺太からの引き揚げ船3隻が留萌沖で旧ソ連軍と思われる潜水艦からの攻撃を受け、たくさんの犠牲者が私の町にも打ち上げられました。水を吸いぱんぱんに膨らんだ人、おんぶひもがほどけても離れずに横たわる親子。本当にかわいそうでつらい光景でした。
この経験もあり、戦争を二度と繰り返してはいけないという思いで、すべての人の人権と平和が守られる社会の実現を目指して市民団体の代表や地域福祉の担い手などとして活動してきました。世界情勢が緊迫している一方、無関心な人も多いです。皆さんに自分事として平和の実現を考えてもらえるよう、これからも働き掛けを続けていきます。それが、戦争を経験した世代の責任だと思っているからです。
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15日で終戦から79年。時代の流れとともに戦禍の記憶を伝え、受け継ぐ機会は減っている。恒久平和の願いを次代につなぐため、戦時を生き抜いた世代に戦中から終戦時の記憶を呼び起こしてもらった。全8回。