苫小牧市スポーツ協会専務理事 本間 貞樹さん(71) スポーツ環境の発展に力注ぐ 王子の選手として日本アイスホッケー界をリードする活躍

  • 時代を生きて, 特集
  • 2024年7月6日
スポーツ発展を目指す本間貞樹さん
スポーツ発展を目指す本間貞樹さん
全日本アイスホッケー選手権大会、王子製紙―コクド決勝で勝利し胴上げされる=1994年
全日本アイスホッケー選手権大会、王子製紙―コクド決勝で勝利し胴上げされる=1994年
苫小牧市スポーツマスター称号授与式の本間さん(右)=2000年
苫小牧市スポーツマスター称号授与式の本間さん(右)=2000年
マスタートーナメントで競技を楽しむ本間さん=2005年
マスタートーナメントで競技を楽しむ本間さん=2005年

  1972年に王子製紙へ入社し、アイスホッケーのFW選手として89年の引退まで17シーズン、日本選手権を11度制し、84年には前人未踏の200得点、通算歴代最多(当時)の287得点を挙げるなど、チームの中核選手として活躍した。現在は、苫小牧市スポーツ協会専務理事として、地域におけるスポーツ全体の発展を目指している。

   釧路市で3人きょうだいの末っ子として誕生。近隣に十條製紙があり、アイスホッケーが幼少期から身近にある環境で育ち、競技にものめり込んでいった。中学までは野球部にも所属。東北海道大会優勝など、キャッチャーとしてチームの勝利に貢献した。高校はアイスホッケーで声が掛かった釧路第一へ進学。野球を続けたい気持ちもあったが、アイスホッケーでより高いレベルを目指したい―と、野球を続けることは断念した。

   高校2年の時には、当時全盛期だった苫小牧工業をインターハイで破り優勝。全道、全国、国体の三冠を達成。「野球で培った広い視野も生きた」とほほ笑む。

   王子製紙に入社したのが72年。ちょうど札幌五輪の開催年。地元開催で盛り上がる中で、代表には選ばれなかったが、アイスホッケーの日本代表は大会を9位で終える健闘を見せた。

   五輪を契機に日本リーグも盛り上がっていたが、同年は福徳相互銀行がチームを解散。王子製紙、岩倉、西武鉄道、古河電工の4チームとなり、西武鉄道がチームを2分し、新チームの国土計画がリーグに加盟した年でもある。74年には十條製紙も加わり、日本リーグは6チーム体制となった。

   選手時代は、まさに王子製紙の主力としてチームをけん引し、さまざまな記録も達成。日本のアイスホッケー界をリードするアスリートとして華々しい活躍を遂げた。

   日本リーグにプレーオフ(5戦3勝制)が導入された90年からは、王子製紙の監督に就任。「期待も大きく、結果を出さなければ―という責任感は選手時代と比べ、より一層強かった」と回顧する。監督就任の初年度には、ホーム戦で1勝2敗と負け越した状態から、見事逆転優勝を果たした。

   地域のスポーツ普及にも力を注ぐ本間さんは2000年、青少年に夢を与えスポーツの普及振興を目指す、市のスポーツマスターに任命された。各年代のアイスホッケーに取り組む子供たちに20年以上魅力を伝え続けている。

   近年は少子化とともに各スポーツ競技人口の減少が課題に挙がる。各競技でクラブ化が進む中、中体連のような学校単位の大会が縮小していく現状もある。青少年を取り巻くスポーツ環境を発展させていくため「保護者の方とも相談しながら、より多くの人が試合経験を積めるような体制を作る。行政、企業、地域住民の支えも必要。参加しやすい環境を整備して関心を持ってもらい、協力をいただけるようになれば」。未来を見据える。

  (松原俊介)

  ◇◆ プロフィル ◇◆

   本間貞樹(ほんま・さだき) 1953(昭和28)年6月4日生まれ。釧路市出身。釧路第一高校から王子製紙に入社。17年間の現役を経てコーチを1年、監督を4年務めた。苫小牧市桜木町在住。

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