大昭和製紙北海道野球部の選手として黒獅子旗獲得に貢献し、白老町観光大使を務める我喜屋優さん(73)が7日、町中央公民館で講演し、町民ら約100人が聞き入った。白老町町制施行70周年と黒獅子旗獲得50周年記念事業の一環で町教育委員会が主催した。
沖縄県玉城村(たまぐすくそん、現南城市)出身の我喜屋さんは、本土復帰前の1968年、夏の甲子園に興南高校野球部の主将として出場し、県勢初の4強入りを果たすなど活躍。同校卒業後は社会人野球の大昭和製紙(静岡県富士市)に入部し、入社4年目の72年に大昭和製紙北海道へ移籍した。74年の都市対抗では準々決勝で本塁打を放つなどして攻守に活躍、北海道勢初の優勝に貢献した。
我喜屋さんは海と山に囲まれた古里の情景から語り始め、古里の港を離れて常に逆境を旅する「ディスポート精神」について触れた。離れることを意味する英語の「ディス」と港の「ポート」を掛けた造語という。白老で飛躍を遂げた自らの経験から「港を離れて待ち受ける逆境を乗り越え、皆さんも新しい自分を、新しい何かを発見してください」と訴えた。
白老体育協会の越前寿事務局長(65)は「当時の選手の皆さんと席を隣に我喜屋さんの声に接し、活躍されていた昔を懐かしく感じた」と感激ひとしおの様子だった。