アイヌ文化研究者ブロニスワフ・ピウスツキ(1866~1918年)の命日の17日、功績をしのぶ行事が白老町の民族共生象徴空間(ウポポイ)内の胸像前で行われた。関係者ら約50人が参列し、来場者と輪踊りで交流した。
ピウスツキはリトアニア出身のポーランド人。1887年、ロシアのサンクトペテルブルク国立大学1年の時、ロシア皇帝殺人未遂事件に巻き込まれ、サハリンに流刑となった。この地で先住民族ニブフや樺太アイヌの言語や文化を研究。1903年8月2日には旧函館区で白老村のシパンラム・ノムラ(野村芝蘭)と出会い、帰郷を助けた縁で野村宅でひと夏を過ごしながら地元の風物やアイヌの暮らしをつぶさに記録した。
式典には北海道大学の井上紘一名誉教授(83)らが出席。井上氏は「いつまでもこの日にピウスツキ氏の功績がたたえられることを願う」とあいさつした。
行事の締めくくりにウポポイの芸能チーム主導でエムシ・リムセ(刀の舞)やイヨマンテ・リムセ(熊の霊送りの舞)が披露された。来場者も踊りの輪に加わり、にぎやかな雰囲気の中で氏の功績をたたえた。
輪踊りで功績をしのぶ職員や来場者