2 「付加価値率の高い産業」集積へ 重厚長大型からの転換

  • 特集, 苫東の今 未来への展望
  • 2024年5月17日
2 「付加価値率の高い産業」集積へ 重厚長大型からの転換

  ■重厚長大型産業の期待

   今では本道の産業拠点の役割を担う苫小牧東部地域。しかし、ここまでの成長には紆余(うよ)曲折の歴史がある。1971(昭和46)年に策定された「苫小牧東部大規模工業基地開発基本計画」。鉄鋼や石油、アルミ精製などの石油化学コンビナートを形成する計画だ。当時本道には産業をけん引する拠点は未整備だったこともあり、広大な敷地を要する苫東地域に焦点が当たった。

   「時代の先端を担うのが石油化学コンビナートだという強い意識を持っていたと思う」

   株式会社苫東の辻泰弘社長はこう述懐する。海路を使って石油を運び、ためておく。それを化学製品に作り代えることがポイントだった。日本国内ではこうした技術が進展し、本道にも石油を持ってさえくれば「関連企業が集積する」という強い期待があった。

   ■国策のほころび

   この目算は二度のオイルショック(73年、78年)によって崩れていくが、簡単に計画の方針転換は進まない。工業用地を造成していた苫小牧東部開発(旧会社)もそうだった。国のプロジェクトを誘致する目的からも、東京に本部を置き、苫小牧は事業本部にすぎなかった。造成すれば国の機関や企業が苫東に張り付く。「国策」という錦の御旗が方針転換を遅らせ、見通しの甘い造成によって借入金が膨らんだ。

   結局、旧会社は破綻し、清算され現在の株式会社苫東が事業を引き継いだ。既に、オイルショックから20年が経過していた。ただ、苫東地域を巡る環境は次の時代を視野に入れた動きが始まっていた。重厚長大型の旧計画から「産・学・住・遊」の複合型開発を目指す新計画を策定。「時代が求めている計画で、ある程度の柔軟性を持たせた」(辻社長)のが特徴だ。

   ■付加価値率の高さ

   その一つの「産」は、本道が弱いとされる「付加価値率の高い産業」(辻社長)の集積を目指した。それが自動車産業だ。苫東地域には既に、いすゞ自動車北海道(現いすゞエンジン製造北海道)が操業していたこともあり「自動車に絡む企業がある程度、集積していた」(同)。近接する苫小牧港・西港臨海部にトヨタ自動車北海道が操業(92年)したことが呼び水となり、苫東にもグループ企業のアイシン北海道が操業(2006年)した。

   その後、佐藤商事、松江エンジニアリング、三和油化学工業、光生アルミ北海道と相次いで進出。千歳に本社を置き、クラッチ板生産では世界企業のダイナックスが苫小牧に工場を造った。物流の優位性を生かしてスズキが部品センター苫小牧を新設。納整センターも移転、立地した。現在、苫東地域に自動車関連産業は16社が立地、うち14社が操業している。

   こうした付加価値の高い自動車関連産業は、副次的な効果も生み出した。医療機器や食品加工、精密機械にも参入できる企業が道内でも増えてきたからだ。まさに「本道のものづくりの幅が広がり、苫小牧は加工組み立てという一つの柱ができた」(辻社長)。その中心的な役割を苫東地域が果たしている。

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