その人は当時14歳の少年だった。午前0時を何分か回ったところで、空襲警報が鳴り響いた。B29が低空飛行で次々に東京に侵入してきた。そして焼夷(しょうい)弾を次から次へと落とす。火に囲まれて逃げている最中、東へ行くか、西へ向かうかで迷った。東を選んで荒川の支流の中川へ飛び込んで助かった。少しでも元気のある人は川に飛び込んだが、それすらかなわない人たちも川岸ぎりぎりのところに大勢いた。たいていが赤子を抱えたり、まだ幼い子どもを連れたりした母親だった。そんな彼女たちに、容赦なく黒煙と猛火が襲いかかった。
3年前に亡くなった作家の半藤一利さん。一昨年出版された「文藝春秋が見た 戦争と日本人」の中で、自らが体験した1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲の体験をつづっている。
米軍のB29爆撃機約300機が東京の下町を中心に焼夷弾33万発を投下し、約40平方キロが焼かれた。米軍による絨毯(じゅうたん)攻撃の始まりとされる。
半藤さんはあの空襲体験を機に、生涯二度と「絶対」という言葉を使わないことを決めた。「絶対に日本は勝つ」「絶対に自分の家は焼けない」…。きのうは約10万人が死亡した東京大空襲の日だった。あれから79年の歳月が流れた。(広)