東日本大震災の津波で大きく損傷しながらも修復され、よみがえったピアノがある。「奇跡のピアノ」。後にこう呼ばれる1台の修復を担った福島県いわき市の調律師遠藤洋さん(65)は、今も全国各地の被災したピアノを直し続けている。「困難な作業だが、ピアノに込められた人の思いを大切につないでいきたい」と語る。
遠藤さんが「奇跡のピアノ」と出会ったのは、震災から約2カ月後の2011年5月ごろ。県内外の避難先を転々とし、いわき市の自宅に戻った際に知人からピアノの修復を打診された。
近くの中学校の体育館を訪れると、津波に遭いながらも流されずに残ったピアノがあった。海水や土砂にさらされ、ほとんど音は出なかった。「見た瞬間、駄目だなと思った」。状態は悪く、修理は不可能に近いと感じたという。思い直すきっかけになったのは、ピアノに刻まれた寄贈者の名前。どこの誰かも分からない。ただ、「自分が直さなければ、彼がピアノに込めた思いは途絶えてしまう」と考え、修復を決意した。
しかし、海水に漬かったピアノの修復など聞いたことがなかった。汚れを水で洗い落としたり、塩分を取り除く薬剤を使ったり、2カ月以上にわたり悪戦苦闘した。苦労の末、よみがえったピアノは11年のNHK紅白歌合戦で演奏されるなど、復興のシンボルとして話題になり、その後も福島県の被災地などでその音色を響かせている。
そんな経験を、遠藤さんは「人生の転機だった」と振り返る。全国の被災地からピアノ修復の依頼が殺到するようになったからだ。19年の台風19号で住宅の倒壊に巻き込まれたもの、20年の熊本豪雨で水没したものなど、これまで計100台以上のピアノを修復し、今も依頼は絶えない。いずれの作業も困難を極めるが、「依頼者の思いを守れるのは自分だけ。そう思うと苦労は感じない」と自分に言い聞かせる。「力の限り活動を続ける」。遠藤さんは誓う。