新国際空手道連盟芦原会館苫小牧支部の立ち上げメンバーの1人として38年間、空手を続けてきた。「空手は生涯武道として他者と競うのではなく、自分を高めるもの。同じ練習場の中に強さを求める人、護身のために空手を習う人など、さまざまな目的を持った人たちがいるので、それぞれが上達していくような環境を今後も整えていきたい」と話す。
新国際空手道連盟芦原会館は、1971年から77年まで漫画雑誌で連載された「空手バカ一代」の登場人物の一人として描かれ、「ケンカ十段」の異名でも知られる芦原英幸氏(故人)が創設。相手の攻撃を受けて崩したり、ステップにより有利なポジションから攻撃を仕掛ける「さばき」が特徴だ。
プロレスラーのジャイアント馬場が日本人として、初のNWA世界ヘビー級王者になるなど、プロレスが主流だった時代に、芦原空手を初めてビデオで見た。体格の小さな人が、大きな人を倒す場面を見て「こんな空手があるのか」と衝撃を受けた。転機は25歳。高校までバスケットボールをしていたが、芦原氏への憧れもあり、空手団体の極真会館での経験者ら知人5人と共に苫小牧支部を同好会として立ち上げた。未経験ながら真面目にひたむきに稽古に打ち込み、飛び級で進級して2年半ほどで初段、黒帯まで登り詰めた。そして2015年には、師範代として認定された。
芦原氏との初対面は空手を始めたばかりの頃。初めての審査会だった。「空気が違う、すごみのようなオーラを感じた。こういう人になりたいと思ったし、認めてもらいたくて稽古に励んだ」と振り返る。ひげを生やしていたことから「ヒゲ」と呼ばれていたが、多くの門下生がいる中で認識されているのかと、次に対面した時は、ひげを剃った。「パンチパーマを角刈りにしたこともあったが、変わらず『ヒゲ』と呼ばれるので(自分を)認識してくれているのだと実感した」とほほ笑む。
現在は同支部に子供から大人まで50人ほどが所属し、市総合体育館や安平町などで週6日間、稽古に時間を費やす。子供たちに対しては「目が真っすぐでキラキラしている。良い空手を教えてあげられたら」と、楽しく、厳しく、めりはりを持って礼節を大事に―を伝えている。
「人生の半分以上が空手」と生活の一部となった芦原空手。これまでの38年間で、メンバーが1人になったこともあった。「強くなりたい―の一心で稽古に励んでいたが、支部を継続させていく責任の重さを感じた時もあった」と回顧。「設立当初は、ここまで続くと思っていなかった。先生(芦原氏)が残してくれた『さばき』を少しでも多くの人に伝え、立ち上げメンバーとして苫小牧支部の歴史を見届けていきたい」と目を細める。
(松原俊介)
◇◆ プロフィル ◇◆
鳴澤彰(なるさわ・あきら)1961(昭和36)年1月18日生まれ。出身は苫小牧。ツーリングが趣味で、日本海側の石狩市から留萌管内天塩町までの国道「日本海オロロンライン」コースがお気に入り。苫小牧市明野新町在住。