「自分では片付けられないと、母から頼まれて―」。きのう朝のテレビで、能登半島地震発生から2カ月になる故郷に関東から駆け付けたという娘さんが、がれきの山に挑む様子が紹介されていた。崩れた家や壊れた家具、屋根瓦の山が並ぶ被災地の様子に改めて言葉を失う。
茶わん一つ、雑誌一冊にも思い出や思い入れがある。以前の勤務地で、知人から「引っ越しをするんだけど作業がはかどらない」と相談を受けたことがある。現れた服一着に「これを着て出掛けた時に―」と、つい昔のことを思い出して手が止まってしまう。できた助言は実に簡潔なものだ。「考えないこと。思い出さないこと」。捨てるのか、残すのか。心を鬼にして、それだけを判断し続けること。何度かの転勤で身に付けた知恵。
時間が無く「捨てる」ためだけの片付けをした経験もある。写真アルバム類は残したが、古い教科書や成績通知票、絵や書道作品、古い学生服などは、積み上げて火をつけた。その時に捨てられた物たちの魂へのおわびのつもりか。巣立って久しい子どもたちの学生服などを捨てられずに保管しているのがおかしい。
3月。残す物と捨てる物の選別に悩む人たちが北陸だけでなく、全国に増えているに違いない。つらい春の到来。(水)