1965(昭和40)年11月1日、道内初の橋上駅舎として白老町に誕生した国鉄北吉原駅の開設式を撮影していた女性が町内にいる。当時24歳だった川沿の福澤ナミヱさん(82)で、同駅の駅舎建設に地元の土木事業所の作業員として関わった。約60年の歳月を経て今月、東町の「カメラ撮影のむらかみ」に写真を持ち込み、A4判の引き伸ばしを依頼。長年の最寄り駅でもあったので「思い入れが強い」と語り、額装して自宅の壁に飾るという。
写真は3枚あり、いずれも約7センチ×9センチ。南口側から捉えた駅舎全体や、プラットホームからの駅舎横側が写っている。南口は「祝北吉原駅開設」と書かれた大きな看板や花輪で飾られ、プラットホームは柱などに華やかな装飾が施されていることが分かる。
橋上駅舎は、線路やプラットホームをまたぐ橋状の構造物の上に設けられた駅舎。旧国鉄としては19(大正8)年に山手線目白駅で初めて建設された。同駅舎は白を基調とした左右対称のモダンなデザインで、壁も階段もコンクリート製。60(昭和35)年の大昭和製紙(現日本製紙グループ)白老工場操業開始に伴い、同社が社員の通勤や生活の利便性を高めるために建設費を全額負担した。駅名は同社の創業地、静岡県吉原市(現富士市)にちなむ。
町史の調査・研究にも関わる仙台藩白老元陣屋資料館の武永真館長は「大昭和製紙の躍進とその後のまちの発展、開設時の祝賀ムードを今に伝え、郷土史の掘り起こしに意義ある資料。駅舎の建設工事に関わった町民が自ら撮影した意味でも貴重」と語る。
福澤(旧姓・谷)さんは町萩野出身で、11人きょうだいの三女として、幼い弟や妹を養うために16歳から農家などで働いた。19歳で土木作業員に転身し、女性ながら一輪車でモルタルを運搬する業務などに就いた。駅舎建設には24歳までに3年間従事。「男社会での働きにくさはあったが、地元にとって大きな存在となるものを手掛ける喜びがあった」と振り返る。初めて関わった大きな工事だったことから、思い出に残そうと開設式に合わせてインスタントカメラを購入。シャッターを切った。
翌年に結婚して北吉原に転居すると、北吉原駅は買い物や役場での各種手続きに利用する最寄り駅となった。老朽化によって2019年9月ごろに駅舎を解体し、地上駅舎に造り替えられた際は、解体工事で姿が消えていく様子を毎日のように近くで涙を流しながら見ていたという。
川沿には数年前に転居し、昔のことを懐かしむ日々。独身時代に関わった大仕事への思いを忘れないため、肌身離さず持っていた写真を額装することにしたという。「駅周辺の風景は変わったが、写真を見れば当時のことがありありと思い出せる」と静かに笑う。