内閣府の景気動向指数によれば、この昭和61(1986)年からバブル(経済)といわれる時期に入ったとされる。土地、建物、絵画などの資産価値が実態以上に値上がりし、好景気が5年ほども続き、やがて崩壊する。ただ、その開始時期はこの年の12月とされ、また、私たち庶民が好景気を実感するのはまだまだ先、この2年ほど後のことである。昭和61年の苫小牧は、なお円高に苦しみ、強引に開店したトピアの行く末をうわさし、板谷市政の行革に揺れた。その中で、苫東第3段階計画の策定が進んだが、これはもう「いまさら」の雰囲気も強く、他方で道央テクノポリス、宇宙産業誘致などに望みを託した。懸案の大学誘致は「駒沢大学」が具体化。街では新図書館、サンガーデンが着工して明るさが見える一方、旭館が64年の銀幕の歴史を閉じた。
■行政改革で「大綱」決まる
市政は、板谷実市長が4年目を迎えた。民間活力の導入、行政改革を掲げて登場した「民間出身市長」の4年目である。前年来、国鉄分割民営化が進み、自治省が自治体に行革を指導する全国の流れの中で「行革」志向は勢いを増していた。
4月2日、市行革大綱が示された。前年3月、諮問機関として市民、各界代表14人で構成する市行政改革推進懇話会を設置し、同12月に答申を受けていた。また、市の内部組織として行政近代化委員会をつくり、内容を煮詰めてきた。
大網は(1)事務事業の見直し(2)組織・機構の簡素合理化(3)給与の適正化(4)定員管理の適正化(5)民間委託の推進(6)OA化と事務行革の推進―などを軸とし、特に職員の定数管理と民間委託が重点とされた。
肥大化、硬直化した行政組織をスリム化し、民間の活力を与えようとの目的は是とされたが、問題視されたのは特に民間委託に関する考え方であった。「効率性や経済的効果というメリットばかりが挙げられているが、行政の責任をどう果たすかを基本に据えなければならない」などの指摘が相次いだ。
「手間のかかることは民間で安上がりに、専門的なことはコンサルタントに」。そんな風潮の中では委託が依存に変わる。市職員は市民と遊離し、劣化と行政の空洞化が進む。思えば、この年あたりが、そんな憂慮が生まれる今日の始まりの時期であろうか。
■再開発ビル「トピア」開店
街はどうか。
3月28日、久々に一条通がにぎわった。正午、錦町1の6に市街地再開発ビル「トピア」がオープンした。和光中学校ブラスバンドの子どもたちが演奏する中、阿部敏雄錦町再開発会社社長、板谷実苫小牧市長、「トピア」の命名者である藤盛浩さんらがテープカット。午後からはアトラクション、周辺商店街の「おめでとうセール」も催された。
地階は書店・文房具、1階は高級ファッションや化粧品のテナント、2階は若者向けファッション・衣料、3階にはスポーツ用品・エアロビクス。4階は市行政も加わって「ファッション」と並んで目玉の一つとした「ニューメディアプラザ」で、簡潔にいえばパソコン展示場。ようやく「PC9800」(NEC)などのパソコンが登場し、実用的で低価格なワープロも出回り始めたころのことで、NECやNTTの協力を得た。
事業費が確保できない、テナントが集まらない、工事の中断などがあり、着工から実に4年10カ月を経てのテープカットであった。華やかな式典、そしてようやくオープンにこぎ着けたという安堵(あんど)の陰に、大きな不安があった。市議会が資金貸付のため2億数千万円の補正予算案を可決したのは、事業認可期限直前の27日午後11時半のことであった。時間切れ目前の深夜の可決、そのまま夜明けを待ってのオープンである。そしてさらになお、金融機関への支払いが8億6200万円、融資返済金が6億700万円など。それをどうするか。
ファッションを売りにした売り場は、若者たちでにぎわった。しかし、極端に絞り込んだ商品構成がその後の売り上げを大きく左右した。上半期の売り上げは2億2700万円ほど。初年度売り上げ目標10億円には届きそうもなかった。
■商店街でイベント連発
人々はどうか。
結果はともあれ、商業者たちがこれほど商店街振興に知恵を絞り、力を注いだのは、この時期をおいてなかったかもしれない。駅前通りや一条通で、どれだけ多くのイベントが行われたことか、数え上げてみよう。
トップを飾ったのは出雲神社祭典(6月)に合わせた錦町ルネサンス運動。一条銀座商店街、駅通中心商店街青年部が実施主体となり、出雲公園に模擬店を多数出店、路上パフォーマンスショー、女みこしも登場させて祭典を一気に盛り上げた。
駅前通商店街振興組合青年部が実施するハスカップウィークはこの年、8回目を数えた。500キロの丸太を引く「よいと引け競走」、初企画のカラオケ大会が人気だった。カラオケ大会は樽前山神社祭典に合わせ一条銀座商店街、駅通中心商店街でも行われた。みつば商興会のビール祭り、ショッピングプラザたいせいの「たいせい夏まつり」、昭和通商店街の夏まつり、錦岡地区商店、飲食店の錦岡サマーフェスティバル。錦町仲通振興会はハスカップに対抗する形でラベンダー祭りを開催し、音羽町では飲食店振興会が旗揚げして第1回カラオケビアガーデンを開催。
苫小牧鉄南の中心商店街が一つにまとまることができるかどうかの試金石となった「苫小牧ナナカマドまつり」。「まんぷくもちギネスに挑戦」で1トンのもち米を一条銀座通りに沿ってのしもちにし、長さ474・4メートルの記録をつくった。参加者は総勢4000人に上った。
しらかば町の住民が「ドンドン共和国」を立ち上げ、「建国祭」を催してユニークな地域づくりをしたのもこの年だった。
一耕社代表・新沼友啓
《この年の流行、話題》
ハレー彗星最接近/猫ブーム(おニャン子クラブ、キャッツ、ホワッツマイケルなど)/ジャイアントパンダのトントン誕生(上野動物園)/ボディコン/ドラゴンクエスト
3月28日 錦町の市街地再開発ビル「トピア」オープン
4月1日 苫小牧市行革大綱決まる
17日 翌年の市長選に板谷市長が2選出馬表明
24日 大正11年に開館した常設映画館の「旭館」が閉館
6月12日 苫東第3段階計画正式決定
7月28日 苫小牧東部圏航空宇宙産業基地研究会設立
9月3日 翌年の市長選に元市議の鳥越忠行氏(46)が立起表明
10月21日 静川遺跡が国の史跡に指定
11月27日 旭大通アンダーパス開通
5月以来6カ月間空席だった苫小牧商工会議所会頭に、苫小牧信用金庫会長の渡辺三郎氏が就任。経済界重鎮の登壇で混乱回避を図った。渡辺会頭は就任に当たって次のようにあいさつした。
「会頭を引き受けたからには地域経済の活性化のために精いっぱい頑張りたい。副会頭は内部の事情を良く知り、一緒にやってくれる力のある人を選ぶ。苫小牧にはいろいろな問題が山積しており、解消しなければならないことが多い。そんな中で商工会議所は開店休業状態にあり、大局的見地に立たなければならないと考えた。
苫小牧は商業基盤が弱い。その上、大型店との競争があり厳しさを増している。各個店が自立の精神を持ち、総合力を発揮しなければ大型店に対応できない。
トピアの自立には市の力が必要。核がなく小規模店が集まっているトピアは私企業では成り立ちにくく、以前から4階の方式(ニューメディアプラザ)のような公共施設として使うことを主張している。市が力を出せるような環境づくりをしていきたい。
(会員減が続く商工会議所の立て直しへ)集まってくる情報をうまく活用できるような体制づくりを進める」
昭和61年10月20日付「苫小牧民報」(概要)